アリの行列を見たことがありますよね。
小学生の頃、夏になるとアリの行列見たさに庭に菓子を放置し、一匹のアリがそれを見つけてから大行列ができるまでを飽きることなく見ていたことがありました。
池谷裕二氏の「単純な脳、複雑な『私』」という本に興味深い話が載っています。
アリはエサを見つけるとフェロモンを出し、エサの一部を口にくわえて巣に帰るのですが、帰る道筋にフェロモンが落ちていきます。
フェロモンは揮発性かつ誘引性があり、このフェロモンに導かれて、巣にいる他のアリたちが次々とエサのところに行くことで行列ができるのです。
基本的にアリはフェロモンに従って整然と行動する規律を持っているのですが、集団の中にはたまにとぼけたアリがいて、フェロモンとは全然違う方向にふらふらと歩いていってしまいます。
どの巣にもこんなとぼけたアリがいるのですが、進化の過程でなぜそんな非効率とも思えるアリが残ってしまったのかと言えば、そこには大きな理由があるのです。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
11歳頃までフランスの森の中に一人で暮らしていたとされるアヴェロンの野生児やインドで狼に育てられていたとされるアマラとカマラ姉妹など、古くから野生児に関する記述が各国に残っています。
野生児の多くは、人間社会に連れ戻されてからも「人間らしさ」をほとんど取り戻すことができなかったことが記録に残っています。
これには「精神的な病気であった子供が親から捨てられたので、野生にいたから人間性を失くした訳ではないのでは」という説もあるものの、最新の脳科学を研究している池谷裕二氏は「そもそもヒトは、一匹だと人間になれない。ヒトが人間になるためには他者との関係が必要である。」と述べており、幼少期であっても人間社会から隔離されて育つことが、いわゆる「人間性」を獲得する上で大きな支障になるのではないかと考察しています。
これと関連するのですが、過去の記憶についても興味深い話があります。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
食品偽装や脱税・談合・・・企業の不祥事が取りざたされるたびに「経営者の倫理観が欠如している」という報道がなされ、当該経営者は徹底的に叩かれています。
メディアも、そこで論評している識者達も(そして我々も)、不祥事を起こした経営者に非難を注いでいる時は被害者と同じ視点に立っており、その視点から離れることができません。
しかし、どこかで何かがほんの少し違っていただけで、わずかの思い込みで、あるいはやむにやまれず・・・自分だって似たような状況にいたら加害者の立場になっていた可能性はないのだろうか。 そういう視点を我々は決定的に欠落させています。
そもそも、不祥事を犯した経営者を「倫理観の欠如」という言葉で総括してしまってもいいものなのでしょうか。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
デービッド・ハルバースタムが書いた「ベスト&ブライテスト」というノンフィクションがあります。
ケネディ政権の国家安全保障担当スタッフは頭脳・識見共に最高の人材(ベスト&ブライテスト)を集めたと言われ、それを引き継いだジョンソン政権でも政策決定の中枢を占めました。
しかし、史上最高のスタッフと言われたそのエリート達によって、アメリカはベトナム戦争という泥沼の愚行に引きずり込まれていくことになります。
そのプロセスを描いた迫真のドキュメンタリーが、上記の書です。
経済の世界では、10年ほど前に、FRB副議長経験者やノーベル賞学者などを揃え「ドリームチーム」とまで言われたLTCMが破綻しましたし、昨年には、ハーバードやMITのMBAなどを含む優秀な人材を揃えていたリーマンの破綻がありました。
世界最高クラスのベスト&ブライテスト達が、時に世界を巻き込むほどの大きな失態をしてしまう・・・それは一体なぜなのでしょうか。
いろんな要因があるとは思いますが、私は「成功モデルを『正義』と捉えてしまった」ことが大きな原因の一つではないかと考えています。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
先日、インフルエンザ発生で政府が対策会議を開いている最中に、官房副長官という要職にありながら愛人と熱海旅行に行き、その旅費には国会議員の公用に与えられるJR無料パスを使用していた鴻池祥肇という国会議員がいました。
彼は病気を理由に副長官を辞任しましたが、政治家というのはおもしろいし分かりやすいですね。
だって、本当に病気の時は徹底して病気であることを隠そうとするのに、都合が悪くなると、すぐに入院してしまうのですから・・・
さらにこの議員は、道徳教育に熱心だったことで有名だったというのですからあきれます。
このブログでも何度か書いているように、私は国会議員や中央政府の役人が教育に介入すべきではないと思っているのですが、ましてや道徳教育なんてもっての外でしょう。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
掲示板などネット上の発言スペースでは「匿名」という事情も手伝ってか、驚くほど過激な発言が飛び交っていることがあります。
韓国では、ネットでの誹謗中傷の嵐に耐えかねた有名女優が自殺して、社会問題にまでなりました。
現代は、メディアなどを通じて大勢の人々が特定の意見に煽られやすく、いったん火がつき煽られた意見は、物事の本質やその後の影響などを誰もが深く考察することもなく、特定の方向に一斉に向かってしまうことがあります。
郵政民営化選挙での自民党への地滑り的投票もそうだったし、事件などが報道されると、法的には何も決まっていない段階で、特定の人物に対して異常とも思えるバッシングが起きることがあるなど、一斉に動き出した時の大衆(及び大衆を利用する人物)の影響力は恐るべきものがあります。
誰かがある意見を述べ、それを「正義」だと言い張って大勢の共鳴者を集めることができれば、それが集団としての決定事項になってしまうのです。
オルテガ・イ・ガセーというスペインの哲学者は、今から80年近く前に出版された「大衆の反逆」という著書の冒頭で「大衆が完全な社会権力の座に登った」と述べました。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
小沢さんの辞任会見とそれに続く麻生首相のインタビューをテレビで見ました。
小沢さんの会見は「言い訳と、格好をつけることに終始した」ように私は感じましたし、野党トップとして国民に向けて説明したというより、身内を強く意識した発言であったようにも感じられました。
その直後、麻生首相がインタビューに応じて「なぜ、この時期なのか、どういう理由なのか私には分かりませんねえ。国民の皆さんも同じ思いではないですかねえ」と首を捻りながら答えていたのですが、理由なんてよ~く知っているのに、国民に媚を売るために敢えてそう言っているような白々しさを感じさせ、背筋を何か冷たいもので撫でられたような嫌な気持ちになりました。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
物心ついた頃から、テレビや新聞・雑誌などを通して「これでもか」と言うくらい商品広告を浴び続けてきた我々は、あまりにも日常的にどっぷりと商品広告に漬かってきたせいで、生き方まで消費者的な構えになってしまったのではないでしょうか。
高校教師をしている友人が新しい生徒を迎えるたびに嘆くのは、教科書にないことを教えようとすると「それを覚えたら何か得になるの?」とか「それって受験に役立つの?」と生徒たちが聞いてくることです。
自分が知らなかったことを会得する喜びや新しい知識を得ることで外の世界へとつながっていく喜び・・・そういう学問本来の喜びにではなく「勉強すれば何かと交換可能で、それが得になるかどうか」に関心がある。まさに消費者的態度で学問を捉えようとする子供を友人は嘆いているのですが、思い返せば私自身も「勉強したらいい学校に入れる」とか「いい学校に入ったら***できる」と言った「交換のフレーズ」をいつも周囲から聞かされてきたように思います。
既に私の親の代から、消費者的態度が植え付けられていたのですね。
社会人になっても消費者的態度は強まるばかりです。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
4月は、新しい仕事の準備に追われつつ楽しく過ごした1ヶ月でした。
新しい仕事というのは、元々当社が取り扱っている商品のメーカーに当社メンバーが直撃取材して、カタログなどに記載されていないような情報を聞き出してブログにまとめていたのですが、それが意外に好評で月間2万人の読者を数えるまでになったことから、ブログからWEBマガジンに昇格させて、より多くの商品を取り上げていこうということになったのです。
イーデザインリストというWEBマガジンで、スタートしたばかりなので、まだまだこれからではありますが、社内の自主的活動から新しい芽が生まれてくるのは素直に嬉しいですね。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
外食する楽しみというのは、単においしい店ではなくて「いい店」と出会えることが一番だと思っています。
「いい店っておいしい店じゃないのか・・・」
確かに食事がおいしいこともいい店の条件ですが、それだけではありません。
「いい店」とは「おもてなしの心」が店全体に行き渡っていることが必須条件なのです。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
新入社員も会社に少しずつ慣れてくる時期になりました。
内定取り消しや入社後に自宅待機をさせる会社があるなどの厳しい世相を反映してか、「今年の新人は真面目で新入社員教育にも熱心に取り組んでいる」という経営者の声をよく聞きます。
新人を配属された上司の多くは「知識や経験を伝達してやろう」と意気込んでいるのではないでしょうか。
ところで、師という立場につくことになった上司にとって必要不可欠なことは、知識や経験の豊富さではないと私は思っています。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
1989年のビロード革命によって誕生した新生チェコの初代大統領として1993年から2003年までトップの座にあったヴァーツラフ・ハベル氏は、冷戦時代には人権擁護や民主化を要求して幾度となく逮捕・投獄された経験を持っています。
文学や芸術にも造詣が深く人格者でもあるハベル氏は、会った人誰もがその魅力を語るような指導者でもありました。
そのハベル氏が、大統領職を辞した後に(確かCNNとのインタビューだったと思いますが)自戒を込めたこんなメッセージを残しています。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
巷に、オーラルコミュニケーションを教える英会話学校は至るところにありますが、英語(フランス語でも中国語でも)の原書を読むための学校はほとんど存在しません。
なぜ外国語(それもオーラル)にこだわるのかと聞けば「英語を話せるようになれば良い仕事につける」とか「報酬が上がる」といった実利目的を答える人が極めて多いように思います。
まあ「キャッチャーインザライや白鯨を原書で読みたいから」などという理由で英語を学ぼうとする人など、ほとんどいないであろうことは私にも想像できます。
もちろん「**するために」勉強することが悪いわけではありません。
しかし、あまりにも実利目的での勉強を意識し過ぎると、逆に本人の「真の利益」にはならないのではないかという気がするのです。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
普段野球にそれほど興味を持っていない人も、WBCでは日本の活躍が気になりますよね。
WBCのあり方に極めて批判的な私も、いざ大会が始まると日本チームの結果が気になり、優勝には感動しました。
私がWBCに批判的な理由・・・それはフェアという言葉を大切にするはずの米国による大会運営が極めてアンフェアだからです。
そもそも米国メジャーリーグによって提唱された世界大会の開催に対して、日本や韓国は当初反対していましたが結局は押し切られてしまいました。
私は、あの時日本と韓国が結束して知恵を絞っていたら、日本(韓国)のプロ野球をもっと発展させることも不可能ではなかったと思うのですが、残念ながらWBCという大会方式を認知することによって機を逸してしまったのではないかと思えてならないのです。
| Permalink
|
| TrackBack (1)
渡辺京二氏の「逝きし世の面影」は、江戸時代末期から明治初期に日本を訪れた外国人によって書かれた旅行記や報告書など膨大な文献を詳細に分析し、1999年に和辻哲郎文学賞を受賞した名著です。
「日本は貧しく遅れた国であり、封建制の下で庶民の暮らしぶりは悲惨である」という先入観を持ってやってきた多くの欧米人が、実際に見た日本の庶民が(他のアジア諸国はもとより、自国の庶民と比べても)活き活きと幸福そうに生活し、礼節や衛生面でも(庶民レベルでは)欧米をも凌いでいることに驚嘆します。
素朴な暮らしぶりではあるが農村でも衣食は充実し、当時の多くの国と違って乞食もほとんどおらず、平和で穏やかな庶民の暮らしぶりに感動すら覚えます。
彼らの多くは日本の近代化を促進するために訪日したのですが、少なからぬ人が「日本を開国させて欧米化させるのは正しいことなのだろうか」という感想を抱きます。
明治以降、日本は近代化を図り欧米諸国に近づく努力を重ねます。
それは多くの成果を挙げますが、そのことによって一方で日本は大切なものを失ってきたのではないか・・・「逝きし世の面影」は渡辺京二氏による問題提起の書でもあります。
最近、ジャンルの全く異なる二冊の本を相次いで読んだところ、いずれの書にも「逝きし世の面影」が取り上げられていて驚きました。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
ポストイットと言えば、誰もが一度は使ったことがありますよね。
私も毎日使っています。
このポストイットが、実は失敗から生まれた大ヒット商品であることは有名な話です。
「強力な接着剤を開発せよ」と命じられていた米国スリーエム社の研究員が、ある試作品をテストしたところ、よくつくけれどすぐに剥がれてしまうという何とも奇妙なモノが出来上がってしまいます。
もちろん当初の開発目標に対しては完全な失敗作です。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
「レインマン」という映画で、ダスティン・ホフマンは自閉症だが驚異的な記憶力を持つ男性=レイモンドを演じました。
床に落ちて大量に散らばったマッチを一目見て本数を正確に言い当てたり、分厚い電話帳を全て記憶してしまうなどの場面を覚えている人もいるでしょう。
こういう能力のことをサヴァン能力と言います。
一度見ただけの風景を後から完璧に描くことのできる人がテレビで紹介されていたことがありますが、これもサヴァン能力です。
イギリスのニコラス・ハンフリーという学者が、サヴァン能力に関連して興味深い仮説を唱えています。
| Permalink
|
| TrackBack (1)
映画「おくりびと」がアカデミー外国語映画賞を受賞しました。
この映画の原作「納棺夫日記」は、経営していた飲食店の倒産を機に葬儀会社に入社して「死者を扱う仕事」に携わることになった青木新門さんが、自らの日記を基に書き起こした本です。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
ヒラリー・クリントン国務長官の来日に際して街中でインタビューされた人が「日本にもあんな女性政治家が出てきてほしい」という趣旨の発言をしていました。
そう言えばアメリカ大統領選の直後は、どこへ行ってもオバマ大統領の話題で持ちきりでした。
興味深かったのが、大半の人が「アメリカはあんな指導者を出せるのに、それに比べて日本は・・・」とか「オバマさんの演説に比べて、日本の政治家の演説は麻生さんも小沢さんも全然ダメだよな」という「あちらはあんなにすごいのに、それに引き換え日本は・・・」という文脈で語っていたことでした。
哲学者の内田樹氏が「日本人は『それに引き換え』というかたちでしか自己定義をできない国民である」と述べておられました。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
以前、あるIT企業から営業を受けたことがあります。
当日朝に、営業担当者から「社長が御社の近くに用事があるとのことで、御社に同行すると言っております」との電話があり、社長と担当者の二人で訪問してきました。
「近くに用事があるとは言え、社長も来られるとは熱心だな」と好感を抱いた私でしたが、現れた社長は、何と酒の匂いをぷんぷんさせており、酔いのせいなのか話が始まるや自分がいかに優れているのかを、ひたすら自慢するのです。
横にいた営業担当者の困り果てた顔が今でも目に焼きついています。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
私が尊敬する哲学者の内田樹氏は数多くの著作を出されていますが「自分の文章は著作権フリー、誰でも自由に引用して構わない」と公言されています。
その理由を、内田氏は大きく二つ挙げておられます。
| Permalink
|
| TrackBack (1)
少し古い話で恐縮ですが、北京オリンピックのテレビ視聴率ではNHKが民放を圧倒したと伝えられていました。
その理由として、タレントに騒がれるよりもスポーツをじっくりと観たいという人が多かったという解説がなされていましたが、私自身、当該スポーツに関係のないタレントが出てくるスポーツ番組は観る気がしなくなる一人です。
そもそも私は、メディアがスポーツを積極的に主催・後援するのは、そろそろやめた方がいいと思っています。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
最近、歴史に興味を持つ若い女性(歴女と言うようです)が増えているそうで、歴史書や家紋グッズなどを専門に扱う店がブームになっているようです。
歴史を好きになる動機が何であれ、女性雑誌で「女性のキャリアアップには**が必要」などといった一方的な価値観に踊らされるよりは、はるかに良いことだと思います。
最近、脳科学者の茂木健一郎氏がこんなことを述べていました。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
19世紀のフランスで最大のベストセラーとなった本は、1886年にエドゥアール・ドリュモンというジャーナリストが書いた「ユダヤ化するフランス」という著作です。
この本の主張は「政治家や役人の堕落」「宗教意識の希薄化」「家族の崩壊」「若者の暴走」などフランスが抱える問題は全てユダヤ人による世界支配の陰謀のせいだというもので、およそジャーナリストが書いたとは思えないほど稚拙な内容でしたが、当時は圧倒的な支持を受けました。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
新年なのに、新聞などを見ていると何かと後ろ向きな話題が多いので、少し勇気が出る話をしたいと思います。
タイのチェンマイ在住の音楽家に瀬田敦子さんという方がおられます。
瀬田さんは音大を卒業した後に結婚し、主婦&母親業をしながら大阪の高校で音楽教師をしていたのですが、40歳になった時に「生徒達に音楽コンクールの実態を教えるために、自ら応募してみよう」と思い立ちます。
そして、イタリアのマスタープレイヤーズ国際音楽コンクールに挑戦するのですが、コンクール出場者の大半は10代・20代で、もちろん瀬田さんが圧倒的に最年長。
一次予選・二次予選を何とか通過して、さて最終結果は・・・
| Permalink
|
| TrackBack (0)
少し前に「我々はあまりにも消費者としての構えが過ぎるのではないか」ということを書きました。
「これを勉強したら何の役に立つの」と聞く子供、「やった仕事に見合ったやりがいや報酬がなくてはやってられない」という大人・・・小さい頃から消費者であることに慣れてしまったせいか、インプットとアウトプットがすぐにつながっていないと満足できない人たちが増えすぎてしまったような気がします。
しかし、これほど消費者意識の構えを取る人が多くなった一方で、長期的なビジネスマインドを持つことの重要性に気づく人が意外なほど少ないように思うのです。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
アメリカで仕事をしていた時、「ジョブディスクリプション」という言葉を頻繁に耳にしました。
「その仕事は自分のジョブディスクリプションにはない」という使い方をする人が多く、その心は「その仕事は私の仕事ではない(やっても評価につながらない)からやらない」と言っているわけです。
アメリカの自動車ビッグスリーが危機状態にありますが、ビッグスリーの労働者たちは賃金が作業ごとに30段階ほどに分けられていて、互いの職分を犯すことは規定外行動としてマイナス評価にしかならないので、自分のジョブディスクリプションにあることしかやらないそうで、それが工場を硬直的にさせ、全体での作業改善などを阻んできた大きな理由の一つだと言われています。
仕事には「私の仕事」と「あなたの仕事」以外に、もう一つ重要な「仕事」があります。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
最近の学校の先生は、生徒よりも親に泣かされると言います。
モンスターペアレントなる言葉がありますが、「義務教育だから給食代を払わない」などと平気でいう主張してくる親がいくらでもいるのだそうです。
多分ほとんどの人が誤解していると思いますが、義務教育の「義務」というのは、親に対して課せられた義務なのです。
日本国憲法26条には次のように明記されています。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
先日のNHKニュースによると、ケンタッキー州に「天地創造博物館」というのがオープンして話題になっているそうです。
「聖書に書かれていることは全て正しく、進化論などは間違っている」という主張の下に、神が世界を創造したという歴史観に基づく展示を行っており、アメリカ国内でも賛否両論が噴出しているようです。
私自身は宗教一般に対する興味はあっても特定の宗派に属している訳ではなく、どちらかと言えば無宗教だと言ってもいいでしょう。
そんな私が宗教に対して不思議に思っていることがあります。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
江戸初期の剣豪・柳生宗矩は、兵法家伝書の中で
勝とうと思いつめることは病である。
策略を使おうと思いつめるのは病である。
先手を取ろうと思いつめることは病である。
相手の出方を待とうと思いつめるのは病である。
このようにあれこれ思い煩うのをやめようと思い煩うのも病である。
なにごとも心がひとつことに固着するのを病と呼ぶのである
と述べて、心がある一点に集中し過ぎることの非を指摘しています。
心がひとつことに固着すると心身を素直に開放できなくなり、あらゆる状況に備えなければいけない武芸などではそれだけ危険性が増すことになってしまうわけです。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
どこの小学校だったかは失念したのですが、一年生から辞書を徹底的に使いこなすことで学力を大きく上げることに成功した学校の事例が紹介されていたことがあります。
その学校では、分からない単語が出てきたら、その場ですぐに辞書を引いて、単語が使われていた文章を余白や(文章量が多い場合には)付箋に書き込む習慣を叩き込んでいます。
一年生の終わりには、付箋だらけで辞書が膨れ上がってしまうのですが、6~7歳とは思えないほどボキャブラリーが豊富になると同時に「分からないことをすぐに調べる」習慣がつくようになり、それが学力を上げる最大の要因になっていると紹介されていました。
先日、大学を卒業したばかりの人と話していて驚いたことがあります。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
トム・ハンクス主演の「アポロ13」という映画があります。
今から40年近く前の実話を基にしており、月へ向かう途中で機体の一部に爆発が起きた宇宙船を、船内の宇宙飛行士や地上にいるNASAの専門スタッフ達の奮闘の末に無事地球に帰還するという映画です。
NASAの地上スタッフは、宇宙物理学や航空宇宙工学から医学に至るまで錚々たる専門家達が揃っているのですが、彼らは専門能力の優秀さだけで選ばれているわけではありません。
大勢の人間が集まって一つの目的を遂行するためには絶対不可欠の「コラボレート能力」が強く求められているのが印象的でした。
最近、すごくおもしろい本を読みました。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
親から「勉強しろ」と言われたことのない人は、まずいないでしょう。
そして「親から『勉強しろ』と言われたから、本気で勉強した」という人もほとんどいないのではないでしょうか。 私自身もそうでした。
脳科学における最新の知見によれば、「脳には強制することができない」のだそうです。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
高校の頃、幾何学の問題に取り組んでいる時、補助線を一本引くだけで図形の見え方がガラッと変わり、一気に問題が解けるようになったことが何度もありました。
脳科学者の茂木健一郎氏は、「学問をやる上で『補助線を引く』ということをすごく大事なメタファーにしている」そうです。
「補助線を引く」とは、例えばこういうことです。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
死を迎えた人に「最後の晩餐に何がいいか」と聞くと、日本人で最も多い答えは「ウナ重」とか「ウナ丼」なのだそうです。
日本人に抜群の人気を誇るウナギですが、意外に生態などは謎が多く、ニホンウナギの産卵場所が、東京大学海洋研究所のウナギ研究グループによってグアムに近いマリアナ諸島西側であると特定されたのは、何と2006年のことなのです。
最初から話はそれますが、上記の東大ウナギ研究グループが、18種あるウナギのうち世界で唯一採集されていない「ラビアータ」の捕獲をめざしてアフリカの奥地を探検した時のルポ「アフリカにょろり旅」は、壮絶な旅行を飄々とした文章で書いていて、おもしろく一気に読ませます。
ところで、残念ながら今年もノーベル文学賞を取れなかった作家の村上春樹氏は、小説を書く際に「ウナギ」を呼んできて相談するのだそうです。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
大学や専門学校の広告を見ると、たいてい「我が校は個人の能力を高めることのできる場である」ことを強くアピールしています。
一般に、前向きと言われる学生ほどTOEICや資格の取得など「自己の能力を高める」ことに熱心ですし、採用の場面では企業側もそういう学生を高く評価しているようです。
しかし、「自己の能力を高めること」が「何を目的にして行われるべきなのか」という議論は、あまりなされていないように思うのです。
「個人の能力を高めるのは、自分のためじゃないか。何を馬鹿な質問をしているのだ」と言われるかも知れませんが、本当にそうなのでしょうか。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
「自立した夫婦関係」なるものがあるそうですね。
籍を入れた法律上の夫婦で同じ都市で働いていながら、仕事のある平日は別々のマンションに住み、休日になると一緒に遊びに行ったり、どちらかのマンションで食事をしたりするのだそうです。
こうした夫婦は例外なく「お互いに対等の関係だ」という文脈のコメントをしています。
十人十色ですから、いろんな関係があることは認めます。
しかし、家族というのは、そもそも対等の関係ではないと思うのです。
いや、むしろ対等の関係でないからこそ、家族であることの意味があるのではないのでしょうか。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
イタリアのピエモンテは「スローフード」を提唱していることで知られています。
スローフード運動に否定的な人は少ないと思いますが、注意しないと「スローフード運動」というのは、実は結構クセモノであるケースが少なくないのです。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
報道写真を見るのが結構好きで、「報道写真展」などのイベントには顔を出すようにしています。
優れた写真には、撮影者の明白な意図や背景にある思想を感じることができます。
テレビや映画に比べて情報の絶対量は少ないにも関わらず、優れた写真に切り取られた「一瞬」は、時としてテレビなどより強烈に撮影者の意図や思想を伝えます。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
玉砕という言葉があります。
第二次大戦末期、南洋諸島などの日本軍守備隊が全滅するたびに大本営発表として使われた言葉です。
辞書によれば「全力を尽くして(信念や道義を守って)潔く死ぬこと」とありますが、実際には潔く死んだというよりも、軍の上層部によって「玉砕」という美名の下で死に追いやられたというのが真相だったようです。
| Permalink
|
| TrackBack (0)