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専門と教養

トム・ハンクス主演の「アポロ13」という映画があります。

今から40年近く前の実話を基にしており、月へ向かう途中で機体の一部に爆発が起きた宇宙船を、船内の宇宙飛行士や地上にいるNASAの専門スタッフ達の奮闘の末に無事地球に帰還するという映画です。

NASAの地上スタッフは、宇宙物理学や航空宇宙工学から医学に至るまで錚々たる専門家達が揃っているのですが、彼らは専門能力の優秀さだけで選ばれているわけではありません。
大勢の人間が集まって一つの目的を遂行するためには絶対不可欠の「コラボレート能力」が強く求められているのが印象的でした。

最近、すごくおもしろい本を読みました。

内田樹先生の「街場の教育論」という本ですが、日本の大学に90年代頃まであった「教養課程」の存在意義について興味深く読みました。

この本にも出てくるのですが、古来、君子が必要な学術を「六芸(りくげい)」と言いました。

六芸とは礼・楽・射・御・書・数を言います。

礼というのは祖霊を祀る儀礼のことで、死者とのコミュニケーションができるということです。
「存在しないもの」ともコミュニケーションできることの重要さを、人間として学ぶべきものの筆頭に挙げているのです。

楽は音楽で、音楽を鑑賞できる能力というのは、音と対話し、豊かな時間感覚を持つことができるということでもあります。

射は弓をひくことで、御は馬を御すること。

弓というのは、自分自身の精神や肉体との対話が必要な武術であり、馬を御するのも馬との対話が必要です。

「六芸」は、書・数という浮世の処世術以前に、コミュニケーション能力がいかに大切かを説いているのです。

なぜか?
考えてみれば当然ですが、アポロ13においても、各々の専門家単独ではロケットを打ち上げることも宇宙飛行士の健康状態を維持することもできません。

専門家達が各々の能力を持ち寄って、コラボレートすることで、初めて大きな事業が成し遂げられるのです。

「専門家」というのは、他の専門家とコラボレートできる能力のある人のことを言うのです。
その能力のない人は、単なる専門バカにしかすぎないのです。

元々、大学にはなぜ教養課程があったのか。
それは、本来 礼・楽・射・御を学ぶためのものだった訳です。

ところが、その4つをなくして「専門を早くから教えた方が効果的だろう」と考えた結果、大学生の学力はかえって下がってしまったと言われる事態になってしまったのです。

いや、彼らは決して学力が落ちたのではないのです。
専門知識や技術はそれなりに身についたのですが、それは「何のための専門なのか」「専門知識や技術を使って世の中に何ができるのか」「他の専門分野とコラボレートしてどんな新しいことができるのか」・・・そういうことを考える訓練をされなかったのです。

専門能力とは、他人を理解し他人と協働できる「コラボレート能力」があってこそ活きるものなのです。

仕事において専門知識や技術はもちろん必要ですが、哲学や小説など「人間を知る」ための素養が、大きな事業・優れた業績を挙げるためには、実は不可欠なのではないでしょうか。

「街場の教育論」を読んで、そう再認識させられました。

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