見えているか
外食する楽しみというのは、単においしい店ではなくて「いい店」と出会えることが一番だと思っています。
「いい店っておいしい店じゃないのか・・・」
確かに食事がおいしいこともいい店の条件ですが、それだけではありません。
「いい店」とは「おもてなしの心」が店全体に行き渡っていることが必須条件なのです。
いくらミシュランなどで高い評価を受けていても、オーナーや店主が高飛車だったり自慢気にしている店や慇懃無礼な従業員によるバカ丁寧な対応の店・・・はいくらでもありますし、チェーン店にいたっては「いらっしゃいませ、こんにちは」とか「はい、喜んで」と言いながら少しも喜んでいる気配がなく、ただただ大声を出している・・・なんていうのがゴマンとあります。
食は五感で味わう、と言います。
料理そのもののおいしさはもちろん重要ですが、「お越し頂いてありがとうございます。今日はゆっくりと食事を楽しんでくださいね。」という「おもてなしの気持ち」が感じられる店って、やっぱりあるし、そういう店に出会うと本当に幸せな気持ちになります。
中沢新一氏の「愛と経済のロゴス」という本は、「贈与」が経済活動の原初であり、そこから「交換」を経て貨幣経済に至ったことを説明しています。
古代から世界中に「贈与」の習慣があったそうですが、どこにおいても共通しているのが「贈り物はモノではない」ということだそうです。
中沢氏は「贈り物はモノではない。モノを媒介にして、人と人との間を人格的な何かが移動している」ものであると分析しています。
贈与から交換を経て進化した経済活動においても、実は同じことが言えるのではないでしょうか。
おいしい食事を提供していればそれでいい、のではなく、オーナーや店主さらには従業員から伝わってくる「人格的な何か」が「おもてなしの心」に裏打ちされているのかそうでないのかは、少し注意深い客なら分かるのではないでしょうか。
いい店だったのに、メディアで紹介されたり、支店を出したりした途端におかしくなるケースも少なくありません。
おそらく、オーナーや店主の「人格的な何か」が変質してしまったのでしょう。
レストランのオーナーや店主もまた経営者ですから、事業を大きくすること自体が悪いわけではありません。
しかしながら、事業規模が大きくなったことで少々天狗になってしまい、客に伝わる「人格的な何か」が必ずしも客にとって心地よいものでなくなってしまったのだとすれば、一時的には拡大できても、やがて衰退への道を歩んでいくのではないでしょうか。
「人格的な何か」が変質する大きな要因の一つは、客や社内を謙虚に「見ることができなくなる」ことだと思います。
心のこもった「贈り物」をしようとすれば、誰しも相手のことを真剣に考えますよね。
「見る」というのはそういうことです。
でも贈与から発展した経済活動においては、相手が見えないままで商売をしていても平気な経営者が少なからずいるのです。
今回の米国発の金融危機において、サブプライム関連商品のように自分たちでもコントロールできないほどに複雑化した商品を開発して販売してしまったことも、経営トップが顧客を見なくなって、金融業本来の意義や客への敬意を置き去りにしたことに原因があるように思うのです。
同じ金融業でも、ロンバー・オディエ・ダリエ・ヘンチやピクテと言ったプライベートバンクはサブプライム関連商品に手を出さず、金融危機の影響をほとんど受けていないと言います。
両社の経営陣に共通しているのは「自分たちに見えない・理解できない範囲のことはやらない」ということだそうです。
業容が拡大すれば、事業家ならばたいてい意気揚々となります。
しかし、事業拡大に夢中になることによって顧客や社内が見えなくなり、そのことで「人格的な何か」が変質してしまっている経営者もまた少なくありません。
人間というのは調子に乗りやすい動物でもありますから、事業が拡大している時こそ、商売の原点に立ち戻って顧客を見つめなおす作業を怠ってはいけないのです。
大事な人に贈り物をする時に真剣に相手のことを考えるのと同じように、常に顧客を見つめ続け「人格的な何か」に磨きをかけることを、経営者は忘れてはいけないのだと思います。


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