道徳について
先日、インフルエンザ発生で政府が対策会議を開いている最中に、官房副長官という要職にありながら愛人と熱海旅行に行き、その旅費には国会議員の公用に与えられるJR無料パスを使用していた鴻池祥肇という国会議員がいました。
彼は病気を理由に副長官を辞任しましたが、政治家というのはおもしろいし分かりやすいですね。
だって、本当に病気の時は徹底して病気であることを隠そうとするのに、都合が悪くなると、すぐに入院してしまうのですから・・・
さらにこの議員は、道徳教育に熱心だったことで有名だったというのですからあきれます。
このブログでも何度か書いているように、私は国会議員や中央政府の役人が教育に介入すべきではないと思っているのですが、ましてや道徳教育なんてもっての外でしょう。
全身全霊をかけて国益に貢献しなければならない首相という職務を、自分の都合で放り投げた二人の世襲政治家や、泥酔状態で記者会見に登場して世界中に日本の恥をさらけ出した大臣。
国会に目を移せば、議論そっちのけで携帯メールのやり取りをしている議員も少なくありません。
もちろん、こういう議員たちを選んでしまった我々にも大きな責任があります。
自戒も含めて、こんな大人たちに「道徳教育」を強制されたのでは、教育を受ける子供たちもたまったものではないでしょう。
道徳というのは、誰かの背中を見て学ぶものです。
道徳教育の必要性を声高に主張する以前に、大人たちが真っ当な生き方をしていれば、自然とその生き様は引き継がれていくのではないでしょうか。
子供たちの世界で、もしも道徳が失われているのだと言うのであれば、それは大人たちの背中から学べるものがなくなったことの証にしか過ぎない、というよりも大人たちの生き様を見ているからそうなったのです。
その一例が「交換可能性に言及する」子供が増えたことでしょう。
以前に何度もこのブログで書いていますが、最近の学校では先生が教科書にないことを教えようとすると「それは何の役に立つの」と聞く子供が多くなっているのだそうです。
受験の役に立つ、それを知ったら得する・・・何かと交換可能でなければ勉強する意味がない、そう考える子供が増えているのです。
これこそ大人に責任があります。
「勉強したら、いい学校に行ける」「いい学校に入ったら・・・できる」等々、常に子供たちにニンジンをぶら下げることで勉強に駆り立てることはあっても、新しいことを学ぶことそのものの楽しさ・勉強によって新しい世界へとつながる喜びを教えてこなかった責任です。
仕事もそうですね。
「やりがいのある仕事」と「お金がたくさん稼げる仕事」を限りなくイコールにしてしまった大人たちによって、仕事本来のおもしろさや意義が語られることが少なくなってしまったのではないでしょうか。
子供たちに道徳を説く必要性を言うならば、自らが「誰かが見ていなくても、天に見られて恥ずかしくない言動をしているか」を冷静に吟味する必要があるでしょう。
自らの行動を律することができる大人だけが道徳を説く資格があるのです。
そして、そういう人に限って「道徳」だの「倫理」だのを声高に言い立てません。
それは、何かを語らなくても、自らの行動で自然に人を感化できるからなのです。
道徳は、強制して教育するものではありません。
大人たちが背中で語るものなのです。
ところで・・・
件の鴻池氏の政治スローガンは「教育を変える・憲法を変える・社会道徳を変える」だったそうです。
鴻池氏は、現在の道徳が厳しすぎるから、もっと自分が勝手なことができるように社会道徳を変えようとしていたのでしょうかねえ。


Comments