モデルは正義ではない
デービッド・ハルバースタムが書いた「ベスト&ブライテスト」というノンフィクションがあります。
ケネディ政権の国家安全保障担当スタッフは頭脳・識見共に最高の人材(ベスト&ブライテスト)を集めたと言われ、それを引き継いだジョンソン政権でも政策決定の中枢を占めました。
しかし、史上最高のスタッフと言われたそのエリート達によって、アメリカはベトナム戦争という泥沼の愚行に引きずり込まれていくことになります。
そのプロセスを描いた迫真のドキュメンタリーが、上記の書です。
経済の世界では、10年ほど前に、FRB副議長経験者やノーベル賞学者などを揃え「ドリームチーム」とまで言われたLTCMが破綻しましたし、昨年には、ハーバードやMITのMBAなどを含む優秀な人材を揃えていたリーマンの破綻がありました。
世界最高クラスのベスト&ブライテスト達が、時に世界を巻き込むほどの大きな失態をしてしまう・・・それは一体なぜなのでしょうか。
いろんな要因があるとは思いますが、私は「成功モデルを『正義』と捉えてしまった」ことが大きな原因の一つではないかと考えています。
自由主義経済や民主主義政治というシステムは、一つのモデルです。
人間が社会を構成するためには、拠って立つ何らかのモデルが必要であり、人類の歴史を通して、人間は数々の社会モデルを創りあげてきました。
自由主義経済や民主主義が人類の叡智の所産であり、一定の成功を収めたモデルであることは間違いありませんし、「自由主義経済や民主主義に取って代わるような優れた制度が今のところ見出せていない」ことも事実だと思います。
しかし、自由主義経済や民主主義政治においても、問題点はいくらでも噴出し得ることは、誰もが知悉していることです。
世の中に100%完璧な制度やシステムが存在しないように、自由主義経済や民主主義政治がどれほど成功を収めたモデルであっても、それを絶対視することは危険です。
しかし、20世紀を通して大きく発展し続けて超大国となったアメリカ(及びアメリカ国民)は、(その成功のゆえに)自らが信じるモデルを「正義である」と思い込むようになってしまったのではないでしょうか。
自ら信奉するモデルが「正義」であると信ずるからこそ、あれほど強引な外交や経済戦略も厭わなかったのでしょう。
自由主義経済を信奉するアメリカは「マネー」信奉者でもあります。
マネーは人間を幸福にすることができる万能で強力なパワーであり、多くのマネーを獲得したものこそが成功者であり勝利者である。
そして、誰もが一夜にして巨額のマネーを握り成功者&勝利者となる「アメリカンドリーム」を実現する可能性があるのがアメリカという国である・・・
アメリカが「正義」と信じる自由主義経済と民主主義の名の下に、「マネー万能モデル」をもまた正義であるとし、アメリカ経済界のエリート達はそれに基づく経済や企業のあり方に傲慢なまでの自信を持つようになりました。
アメリカ型マネー万能モデルは日本へも伝播し、「金で買えないものはない」と豪語した人がいましたし、村上ファンドの村上世彰氏がテレビカメラに向かって「皆さん、お金儲けは悪いことですか」と叫んでいたのを記憶している方もおられるでしょう。
私が尊敬する経営者である平川克美氏は「お金儲けは悪いことではない。しかし、お金儲けは悪いことですかと聞くのは良いことではない。それは問いではなくて、自らの行為を正当化したいだけのエクスキューズであり、同時に『お前だって金儲けはしたいんじゃないのか』という恫喝でしかないからである」と述べています。
お金儲けをしたいと思うことは悪いことではありませんし、私を含めて経営者なら利益を得ることを重要なことだと考えているはずです。
しかし、そのことと、お金儲けが正義であるかのごとく振舞うこととの間には、やはり決定的な違いがあると思うのです。
お金は商品の前では万能かも知れません。
しかし、本来商品でないもの(例えば人間の精神的領域)に対してまで、お金の威力で支配できると思うのは傲慢でしかないでしょう。
このブログで繰り返し述べているように、知性とは「自分は間違っているのではないか」と謙虚に振り返ることのできる能力だと、私は思っています。
これまでいかに成功を収めてきたモデルであっても、「本当にそれでいいのか」「今後も、そのモデルを追及する姿勢が正しいのか」・・・こうしたことについて深く考えることを怠ってはいけないと思うのです。
ベスト&ブライテスト達の破綻は、能力の問題なのではなく、モデルにしかすぎないものを、正義の域にまで高めてしまった「思想の敗北」なのだろうと私は思います。
あるモデルや制度を「正義」であると考えてしまった瞬間から、人間は自説の正しさが届く限界が自覚できなくなってしまうのです。
二宮尊徳の言葉に「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」というのがあります。
「道徳」とは「これが正しい、だからこれをやるべきだ」とする態度ではありません。
そうした態度では、モデルを正義に置き換えてしまう愚を繰り返す可能性があります。
「道徳」とは、あらゆるモデル・あらゆる考え方に対して「本当にこれでいいのだろうか」「もっと優れた違うやり方はないのだろうか」と、常に自分自身で深く考え抜く態度を持つことであり、そうした思索の末に「誰に見られても恥ずかしくない」と思える行動を取ることではないでしょうか。 少なくとも私はそう考えています。
私たちの多くはベスト&ブライテストではないからこそ、成功モデルに簡単に追随することなく、自分自身でしっかりと思索しなければなりません。
経済の最前線にいる経営者の役割として「なぜこの仕事をやるのか。仕事でお金を儲けたら、どのように使うのか。」こうしたことを真剣に考えることが、率いている企業や組織を破綻に導かないための方策でもあるのではないかと思います。
いかに成功したモデルや制度であっても、それは「正義」ではないし、明日も続けて成功する保証はないのです。
謙虚に考え続けること・・・これこそが我々にできる最も有効な手段であるわけですし、いかなる企業や組織の未来も「人間の頭」から出たアイデアによってしか運営できないのですから・・・
もちろん、経営者の吐く言葉が寝言にならないように「きちんと利益を挙げること」の重要性は言うまでもありませんが。


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