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<title>会社を変える！！　経営者の考え方</title>
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<description>経営の最前線で日々考えた事・感じた事から、経営に活かせるヒントを発信していきます。
　　　　批評や反論、大歓迎です。多くの意見を拝聴することで、さらに考えを深化させたいと願っています。</description>
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<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/11/post-e961.html">
<title>恵まれない状況を創る</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/11/post-e961.html</link>
<description>「恵まれ過ぎることは恵まれないことよりも劣る」（野村克也） この言葉について、ス...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;「恵まれ過ぎることは恵まれないことよりも劣る」（野村克也）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この言葉について、スポーツジャーナリストの二宮清純氏が「野村語録のなかで白眉である」と賞賛していましたが、私も野村さんのこの言葉にはいたく感心しました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;野村さんは、５５年前にテスト生として南海ホークス（今のソフトバンクホークス）に入団したのですが、契約金ゼロ・月給７０００円という金額は当時でも極めて低く、食事をするにも財布を気にしなければならなかったと言います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今のように練習環境が整っているわけでもないので、練習メニューは完全にレギュラー中心。&lt;br /&gt;
テスト生にいたってはロクに練習させてもらえず、キャンプでの打撃練習は一日たったの５スイング（！）までしか許されなかったそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、それだけに１打１打に真剣に取り組み、限られた練習時間の中で知恵を絞って工夫に工夫を重ねる習慣が自然に身についていったと野村さんは語っています。&lt;br /&gt;
常に知恵を絞って工夫に工夫を重ねる習慣を身につけたことが、入団以来５５年間もプロの世界で生きていくことができた最大の要因だったと野村さんは述懐しています。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
野球であれ、ビジネスであれ、長く第一線で活躍するためには、絶えざる努力・絶えざる変革が必要なことに違いはありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;大企業の新規事業や、早期に多くの資金を集めることのできたベンチャー企業の中には、後々うまく行かなくなるケースが決して少なくありません。&lt;br /&gt;
それは、お金を得たことで、常に工夫に工夫を重ねるという習慣が社内に根付かなかったがゆえではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;恵まれ過ぎることが、努力・変革へのモチベーションを奪ってしまうということは充分にあり得ることでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もちろん「お金などない方がいい」と言うつもりはありませんが、自らをある種の「恵まれない」状況に置くことは意味のあることではないかと思います。&lt;br /&gt;
例えば「不可能と思えるような事にチャレンジすること」がそれに相当すると私は思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今ある能力・財力・環境・・・では不可能だと思えるようなことにチャレンジしなければならない状況。&lt;br /&gt;
それは、かつての野村さんのように、恵まれない状況と同じだと思うのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;一見不可能だと思うような状況だからこそ敢えてそれに挑戦し「何とかしてやれる手段はないのか」「どうにかして突破口を見つけられないだろうか」・・・そうやって知恵を振り絞ることで様々なアイデアやブレークスルーが生まれ得ます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;世間から見れば成功したように見える企業でも、常に工夫に工夫を重ねる習慣を絶やさないことが、企業が成長し続ける上での大きな秘訣でもあります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「不可能（と思われること）への挑戦」によって、自らを敢えて「恵まれない状況」に置いてみることは、そういう意味でもすごく意味のあることではないでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-11-04T18:03:02+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/10/post-4f11.html">
<title>企業の病巣</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/10/post-4f11.html</link>
<description>ＪＲ西日本のトップが事故調査委員会の委員に接触を図り、情報が漏洩していた事件が新...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;ＪＲ西日本のトップが事故調査委員会の委員に接触を図り、情報が漏洩していた事件が新聞紙面を賑わせています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかも、トップが調査委員会に不適切な働きかけをしていることは、少なくともJR社内の３６人が知っていたという事実が、遺族や世論を一層怒らせてもいます。&lt;br /&gt;
もちろん、JR西日本トップや幹部連中の対応は厳しく責められてしかるべきものです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;考えてみれば、CSR（企業の社会的責任）やコンプライアンス（法令順守）という言葉が定着するようになった２１世紀に入ってからも、不二家や雪印乳業の食品偽装・三菱自動車のリコール隠し・カネボウの粉飾・・・と、企業の不祥事は一向に減る気配がありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そのたびにマスメディア（とメディアを見ている我々）は、倫理観の欠如した経営者を責め立てます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;不祥事が起きると、当該企業はそのたびにメディアに叩かれて業績にも多大の影響が及びます。&lt;br /&gt;
企業のトップに登りつめるほどの人たちに、不祥事というのは露呈すると（また、いつか必ず露呈します）多大な負の影響があることが理解できないはずがありません。&lt;br /&gt;
それでもなお、不祥事が後を絶たないのは、一体どうしてなのでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そもそも、不祥事を犯した経営者を一方的に責める資格が、本当に我々にはあるのでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
もしも私自身がJR西日本の幹部で、事故調査委員会内部にかつての上司や同僚・友人知人がいた場合、「彼らに働きかけたい」「少なくとも状況だけでも知りたい」・・・そんな誘惑に駆られることは絶対にない。&lt;br /&gt;
間違いなくそう断言できるかと問われると、正直言って１００％の自信を持って断言できるとは言い切れない自分に気がついて愕然としてしまうのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「ザ・コーポレーション」という著書の中で、ジョエル・ベイカンは「株主と経営者が分離するようになったことで、企業は病的な機関になった」と述べています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その昔、初期の事業というのは、起業する人たち自身がお金を持ち寄って事業を起こし、成功したら山分けするという形態でした。&lt;br /&gt;
しかし、それでは集められる資金・それに伴う事業規模に限界があるということから、より資金を集めやすくすることを目的に有限責任の株主と経営者を分離する株式会社という仕組みが誕生しました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その結果、言い方は良くないかも知れませんが、企業の行っている事業の意味云々よりも自分が投資した金のリターンだけを考える株主＝投資家が出現することになったのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;株式会社という形態が誕生して間もない英国では、投資家と事業家を結びつけるという触れ込みで、実体の伴わない会社の株を売りつけるなどの行為によって金を稼ごうとするブローカーが暗躍しました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こうした事から、１８世紀初頭の英国議会は「腐敗の温床になる」として、一度は株式会社という仕組みを禁止します。&lt;br /&gt;
その後、効率的に余剰資本を集めて回転させることでダイナミズムを生むことができる株式会社というシステムの魅力に抗しきれず、半世紀を経て英国議会は株式会社を解禁するのですが、株式会社が誕生の頃から持っていた「所有と経営が分離することでの危うさ」は、３００年が経過した今もなお温存されたままなのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;経営者が、全ての関心を「顧客」と「社員」に向けている会社は、私の見る限り、健康的な会社になる基本的条件を整えている存在であると言ってもよいと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、その会社が行う事業の本質よりも会社がリターンを生むかどうかに高い関心を持つ（多くの場合、そこにしか関心がない）株主や銀行などに、より多くの気を使わざるを得なくなっているのが、今日の企業経営者の姿ではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ジョエル・ベイカンが「企業とは、そもそも病的な機関だ」と主張している理由もここにあります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さらに、今日、経営者が気を使う相手は、株主・銀行・その他の債権者・メディア・・・と増大する一方です。&lt;br /&gt;
経営者の目が、顧客や社員といった事業の本質に関わるところではなく、社外にばかり向き勝ちになっているのが今日の経営者なのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;不祥事を起こした経営者の多くに共通するのは、短期的な危機回避のために、顧客や社員に対する長期的な視点を欠如させていることにあると言って間違いではないでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それは、経営者が、企業が本来持っている病的な部分に冒されてしまった帰結だとも言えるのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
上場や銀行借り入れによる資金調達は、事業を推進する大きな力になることは事実です。&lt;br /&gt;
しかし、そのために株主や債権者ばかりを気にするようになってしまうことは、経営者が「企業が持っている病原菌」に冒されてしまったことを意味するのではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;事業を推進する上で多くの資金を必要とするために、上場や銀行借り入れを行うことがあっても、それは全て顧客と社員のためである・・・そういう視点を外さない経営者だけが、病気に冒されることのない健全な経営ができるのではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;特に上場というものは、創業経営者にとっては大きな利益を生む可能性が高い、魅力的なものでもあります。&lt;br /&gt;
また、そういう魅力が事業推進のモチベーションになり得ることも否定はできません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、経営者というのは職業ではなく「生き方」の選択でもあると私は思うのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;人間が病原菌を抱えつつも自己管理によって健康体でいられるように、経営者としての矜持は「どこまで行っても顧客と社員のためにある」・・・そういう視点だけは外してはならないのではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;人間とは功利性に強く惹かれながらも功利性だけでは生きられない矛盾した存在です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;だからこそ、多くの社員と共に働き、顧客を中心に社会に影響力を与えている経営者という存在は、功利性とそれ以外との狭間で揺れ動く自分をしっかりとコントロールすることが不可欠ではないかと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その根幹となるのが「顧客と社員のために働く」という経営者の矜持を持つことだろうと思うのです。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-10-26T11:25:10+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/10/post-9c14.html">
<title>キャリアアップについて</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/10/post-9c14.html</link>
<description>１０月１日には、多くの会社で内定式が実施されました。 学生達も社会への想いを新た...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;１０月１日には、多くの会社で内定式が実施されました。&lt;br /&gt;
学生達も社会への想いを新たにしたのではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;知人の大学教授によると、最近の学生はすごく真面目で良く勉強するそうです。&lt;br /&gt;
キャリアアップという言葉にも敏感で、資格取得や外国語の習得などに熱心に取り組む学生が少なくないと言います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今「キャリアアップ」という言葉を使いましたが、私はこの言葉は極めて一面的な捉え方をされていると感じており、巷間言われている「キャリアアップ」という言葉の使われ方には少なからぬ疑問を持っています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「自己の知識や技量を増やし能力を高めることで、自らをステップアップさせていくことがキャリアアップである」そう捉えている人が多いのではないかと思いますが、私は、そこで止まってしまってはいけないと思うのです。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;社会で生きていくということは、他者との関係性の中に身を置くことでもあります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;誰しも「あいつとは一緒にいたくない」「あの上司の下では仕事をしたくない」というような発言をしたり聞いたりした経験があるのではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その人がいることで周囲のモチベーションが下がり、やる気を殺いでしまう。&lt;br /&gt;
そんな人がいる一方で、その人の存在が周囲を活き活きとさせ、一緒に仕事をするとこちらまでやる気が出てくるというタイプもいます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ビジネスというのは協働作業ですから、どちらのタイプと一緒に仕事をすれば生産性が高まるのかは言うまでもありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私は、社会における「キャリアップ」とは、周囲の人々の能力を高め、一人でも多くの人をハッピーにすることができる能力を身に着けることだと思っています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;自己の知識や能力を高めるのも、そういう目的のために使われるべきではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これは決してきれい事ではなく、例えば経営トップがこういう能力を身につけていなかったとすれば、高い業績を恒常的に上げ続けることはできません。&lt;br /&gt;
トップのカリスマ性やスパルタ統治で業績を挙げることができていたとしても、それはゴーイングコンサーンとしての企業力を高めているとは言えないケースも多いのではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;事実、カリスマ経営者が去った途端に業績が落ち込む会社は決して少なくありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;一人でも多くの人の能力を高め、周囲をハッピーにさせることのできる能力を身に着けること。&lt;br /&gt;
これこそが社会に置ける「キャリアアップ」であり、そういう能力こそが協働作業の能率を高め、より高次元の仕事をすることにつながるのだと思うのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、現実には「自分の能力を高め、自分がステップアップすること」ばかりに重点が置かれているのが、昨今のキャリアアップであるように思えてなりません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そうなってしまった原因には様々な要素がありますが、教育における二つの問題も大きいと思っています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;一つは偏差値という指標を使っていることです。&lt;br /&gt;
私たちは、子供の頃から同じ年次の中で競争をすることに慣らされてきました。&lt;br /&gt;
同学年の中での自分の位置を示す偏差値というのはその典型です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;以前、夏目漱石や岡倉天心が１０代の時に書いた文章を見た時に、その該博な知識や思考力に驚いたことがあります。&lt;br /&gt;
「自分が彼らの年には、とてもこんな文章は書けなかった」と、正直恥ずかしい気持ちにもなりました。&lt;br /&gt;
アメリカ人は４５歳になると「ケネディは４５歳で大統領だったんだ」と我が身を振り返る人が少なくありません。&lt;br /&gt;
過去の人たちと比べて自らの知識や力のなさを知ることは、改めて「これは頑張らなければ」という強いモチベーションにもつながります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、偏差値で自らを評価する場合には、自らの絶対的能力よりも他者（それも同学年という極めて狭い範囲）との比較だけに目が向きがちです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さらに怖いのは、偏差値は相対的な位置関係を表す指標ですから、自分が高いポジションを得るのと他者が脱落するのが等価でもあるわけです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「クラスや塾で勉強のできる子が病気になると、喜ぶ父兄がいる」という話を聞いたことがありますが、偏差値教育の大きなひずみの一つでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;二つめは、教育が市場主義的な価値判断で語られすぎているということです。&lt;br /&gt;
私自身を振り返ってみても、小さな頃から「勉強したらいい学校に入れる」「いい学校に入ったら＊＊＊できる」というように、勉強することの対価を示され続けてきたように思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;昨今の学校では、教科書にない事を教えようとすると「それは試験に出るの」とか「それって何かに役立つの」と聞いてくる生徒が多いと言います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;自分の知らなかった未知への扉が開かれるという「学び」本来の楽しさや喜びではなく、それを学ぶことで、後で自分に「得」となって戻ってくるかどうかに関心が向いているというのは、決して望ましい姿ではないように思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「偏差値」と「市場主義的価値判断」＝「同僚より自分が上であること」「学問や努力は、自分自身に対価となって戻ってくるべきである」そういう考え方を小さな頃から刷り込まれてきた結果、社会に出ても同じような判断基準で行動してしまうのではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;繰返しになりますが「他者の能力を高め、他者をハッピーにできる」能力こそが、実は、集団の生産性を高め、自分を含めた集団メンバー全てが幸せになり得る方法論ではないでしょうか。&lt;br /&gt;
社会人としての経験が長い人ならば、これは決してきれい事ではないことをご理解頂けると思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;キャリアアップとは、そういう能力を磨いていくことなのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;経営者など責任ある地位にある大人たちは、「本当のキャリアアップとは何か」について自ら範を垂れなければならないのですが、それには我々自身が短期的な利益追求といった等価交換のスキームに陥ることなく、組織を育てていくという、言わば「親の情熱」を持たなければいけないと思います。&lt;br /&gt;
自ら自戒しつつ、そう思う日々です。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-10-14T17:44:55+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/10/post-5505.html">
<title>先達への想い</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/10/post-5505.html</link>
<description>身体の内部情報を画像化するMRI（核磁気共鳴画像法）基本原理の発明によってノーベ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;身体の内部情報を画像化するMRI（核磁気共鳴画像法）基本原理の発明によってノーベル生理・医学賞を受賞したアメリカのポール・ラウタウバー博士は、自らの発明を特許にすることを死ぬまで拒み続け、特許を取って対価を得ることを勧める人たちに対して「いかなる発明も過去からの学問的蓄積なくして生まれることはありません。学術的な研究成果というのは人類の成果であって、個人が儲けるべきものではないのです。」と答えていました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ベストセラーを含めて数十冊の著作がある哲学者の内田樹氏は「自分の文章は誰でもコピペして構わない」と公言されています。&lt;br /&gt;
内田氏は「なぜなら、完璧に自分オリジナルの意見など存在しないと考えるからです。いかなる思想や意見も、数多くの著作や先達の思想を学ぶことによって醸成されるものであり、いわば『自分の言葉は他人の言葉』でもあるからです。」と述べておられます。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
「自分の研究成果や思想は、過去の先達の足跡の上に成り立っている」という二人の言葉には、（優れた業績に対する）世の中の評価に驕ることなく、自らの仕事に対して透徹した深い思索を向けているのを感じることができます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;高い業績を上げ、優秀と言われる人の中には、えてして「自分の力」を過信しがちで、「周囲の人たちのおかげ」で仕事ができていることを忘れがちになるケースが少なくありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私の知り合いの経営者で、生死をさまよう大病になり「自分がいなくなったら会社もダメだ」と思っていたところ、入院している間の社員たちの頑張りで全く業績が落ちなかったのを見て「自分は傲慢だった。いかに多くの人たちに助けられていたかが骨身に染みて分かった」と言った人がいます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;経営トップには、こうしたきっかけでもないと「周囲の人たちのおかげ」で仕事ができていることにさえ気づかずに過ごしてしまう人が少なからずいるのです。&lt;br /&gt;
ましてや、ラウタウバー博士や内田氏のように、過去の先達にまで思いをはせることのできる人はそうはいないのではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;考えてみれば、世界には戦乱や絶対貧困などに苦しんでいる人達が数多くいるなかで、日々仕事に邁進できるというのは、平和で自由な経済活動ができる日本を築いてくれた数多くの人たちの努力の礎の上に自分がいるとも言えるわけです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ビジネス書も悪くはないのですが、歴史や思想・哲学を学ぶと、自分の仕事を一段と高いところから俯瞰することができ、自然と謙虚な想いになります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そうした想いは、仕事にも良い影響を与えるのではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ラウタウバー博士や内田氏の言葉に触れると、自らの仕事に対して、もっともっと深い思索を向けていかねばならない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;つくづくそう思わされます。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-10-04T13:58:49+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/09/post-47e5.html">
<title>「覚悟」の引継ぎ</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/09/post-47e5.html</link>
<description>民主党政権の誕生に伴い「核持ち込みに関する日米の密約を明らかにする」という話が出...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;民主党政権の誕生に伴い「核持ち込みに関する日米の密約を明らかにする」という話が出ています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この密約（存在自体は、元駐日大使のライシャワー氏が２０年以上前に認めていますから実際にあるのでしょう）は５０年近くに渡って自民党政権で引き継がれてきたわけです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;メディアの報道では「密約」そのものが悪いように書かれているものがありますが、私は国家の外交において密約が悪いとは思っていません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;外交のやり取り全てを国民の前にさらすことができないということは大いにあり得るでしょうし、今回の密約が交わされた当時の国際情勢を鑑みて、それは高度な政治判断で行われたはずですし、結果的にそうした政治判断によって日本が（第二次大戦後、アジア各地で発生した戦争に巻き込まれることもなく）経済発展に邁進できたという側面もあると思うのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;企業の経営においても、一部のメンバーにしか伝えることのできないような高度の政治判断を要することは決して少なくありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;国家においても企業においても政治的判断を下す当事者は、考え抜いた末の決断をする訳で、おそらく「いざという場合」には責任をとる覚悟をした上で決断しているはずです。&lt;br /&gt;
高度に政治的判断というものは、古今東西「身を（場合によっては命をも）投げ出す覚悟のある者」だけが行うことができるものであることは論を俟たないでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ところが、そういう政治的判断を、自分の代を越えて引き継がねばならない場合に、往々にして人は無責任になってしまいます。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
政治的判断の引継ぎは単に「秘密の引継ぎ」ではありません。&lt;br /&gt;
政治的判断を最初に決断した者の「覚悟」そのものを引き継がねばならないのですが、引き継ぐ方も引き継がれる方もそういう緊張感なく「秘密をやり取り」してしまうことが多いのではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;３年ほど前に全国の高校で必修単位履修漏れ事件というのがありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;世界史や地理などの時間を進学教育に充てていたことで、文部省が決めた当該科目の履修単位が足りないままになっていたのが発覚したという事件です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;取りあえず進学教育の是非については、ここでは議論しません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;文部省で決めた履修科目を別の授業に振り替えることを最初に決断した校長は、悩みに悩んで世界史や地理の時間を別の教科に振り向ける決断をしたのであろうと思います。&lt;br /&gt;
その校長は、もしもの場合（具体的には文部省にバレた場合）には職を辞する（時にはそれ以上の）決意すら持っていたのではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかしながら、この校長から引き継いだ校長は、おそらく「前任者がしたことだから」と深く考えることもなく引き継いだ可能性が高いと思いますし、この高校の事を伝え聞いた学校のトップは、「他でもしているのだから」とほとんど考えることもなく、必修単位の授業を振り替えたのだろうと思うのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;挙句の果てに、ああいう大騒動になったわけです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;年金記録改竄を知っていながら何の手立ても講じなかった社会保険庁や、不良債権の先送りをして破綻させた銀行のトップたちも似たような状況だったのでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;政治的判断というものは、身を投げ出す覚悟のある者だけができる行為であって、その判断を引き継ぐ場合には、最初に判断を下した当事者と同じ「覚悟」まで引き継がねばならないのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;引き継ぐ時に「覚悟」まで引き継がせることができるのか。&lt;br /&gt;
単に自分が重い荷を降ろすのではなくて、本当に相手が覚悟を持ってくれるのかを冷静に見極めた上で、もしもそこまでの「覚悟」を要求できない相手であると悟った時には、自らが腹を掻き切ってでも終了処理をしなければならない＝それが「政治的判断」を下すことの重みだと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;覚悟を引き継げない政治的判断は、いつか組織を破滅に追いやることになるのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;組織のトップが肝に銘じておくべきことだと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今回問題になっている「密約」の引継ぎも、後任の首相や外務省トップは「秘密の引継ぎ」程度の認識で引き継いだのではないかと容易に推察できてしまうところに悲しさを感じてしまいます。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-09-18T15:41:11+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/09/post-498b.html">
<title>交換する楽しさ</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/09/post-498b.html</link>
<description>人類の祖先たちは、今から約５万年前に、ビジネスの起源とも言うべき行為を始めたと言...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;人類の祖先たちは、今から約５万年前に、ビジネスの起源とも言うべき行為を始めたと言われています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「沈黙交易」と呼ばれるもので、言葉や慣習が違う集団同士が、双方の中間とおぼしき場所に、まず一方の人間が自らの部族で採れた（あるいは使っている）モノを置いて立ち去ります。&lt;br /&gt;
後日もう一方の人間がやってきて、別のモノを置いて、既に置かれてあったモノを持ち帰ります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これが何度も何度も繰り返されるのですが、互いに言葉が分かりませんし、ほとんど顔を合わせることなく行われる交易であるがゆえに「沈黙交易」と呼ばれているのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;よく、歴史や社会の教科書では「海の民は海産物を、山の民は森の恵みを交換して互いに役立つようにした・・・のが交易の原点」などと書かれていますが、後にはそういう交易も生まれたようですが、考古学的な知見によれば、どうやら最初はそうではなかったようです。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
言葉も慣習も違う（からこそ沈黙交易をしたのです）集団同士にあって、例えばキノコを見たことがない海の民がキノコをもらっても、それを食べてよいのか、飾りにするものなのかは分からなかったはずですよね。（顔を合わせない交換ですから、実際に相手がキノコをどういう風に使っているのかも分かりません）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;沈黙交易においては、おそらく「互いに何だか分からないもの」を交換しあったと考えられています。&lt;br /&gt;
しかも「何だか分からないもの」を交換しあったからこそ、交易が長続きしたと考えられているのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;実は、これは人間心理に適っています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;置かれてあるモノを見て「なんだ、あれに使うモノか」と分かってしまうより、「いつも何だか分からないものが置いて」あり、それを持ち帰って同じ集落のメンバーで「ああだこうだ」と言い合うのって、すごくおもしろそうではないですか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;５万年前の人類の祖先たち（クロマニヨン人です）は、互いの利益になるからと言うよりは、交易そのものがおもしろいから沈黙交易をしていたと考えられているのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;実は、現代のビジネスにおいても、ある種の「わけの分からなさ」という側面は重要なんじゃないかと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もちろん、５万年前とは社会的背景が違いますから、全くわけの分からないものが売れるということはありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、よくまわりを見渡してみると、ある種の「わけの分からなさ」を持っている商品って結構ありますよね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;例えばユニクロ。&lt;br /&gt;
かつてのフリースや最近のヒートテック下着など、爆発的に売れた商品は「なぜ、この品質の商品がこんなに安いんだろう」という驚きがありますよね。&lt;br /&gt;
ユニクロについては、安さの理由（わけ）がいろいろと報道されてはいますが、それでも商品を手に取った時の感覚は「これが、この値段って安い！　すごい！何で？」という驚きでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;特に景況が厳しい昨今では、後者のような驚き（この値段でこれってスゴイ。何で？）を持つ商品やサービスが成功しているケースが多いようです。&lt;br /&gt;
そういう商品やサービスに出会った時って、何だか得したような気分で嬉しくなりますよね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;５万年前のクロマニヨン人もそうだったように、わけの分からなさはおもしろさに通じることがあり、そういう部分があってこそ交易が長続きするわけで、「なるほどこの商品がこの価格なら納得」というだけでは一過性のビジネスに終わってしまうのではないかと思うのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;現代では、商品にせよサービスにせよ金銭と交換することで成り立っているわけですが、その交換そのものが「おもしろい」「楽しい」・・・そう感じさせることがすごく大事なんじゃないかと思います。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-09-07T08:47:29+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/08/post-0678.html">
<title>高度情報化</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/08/post-0678.html</link>
<description>かなり以前から「高度情報化」という言葉が跋扈するようになっています。 アマゾンで...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;かなり以前から「高度情報化」という言葉が跋扈するようになっています。&lt;br /&gt;
アマゾンで「高度情報化」という言葉を入れると、一番古い書籍は１９８３年の出版ですから、ネット登場のはるか以前から「高度情報化」という認識があったわけです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;実はこの言葉は、使っている本人が誤解して発言しているケースが極めて多いんですよね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「高度情報化社会」とは、情報化が進んだ社会のことではなく、情報化のプロセスが人目に触れなくなる社会のことですが、そういう意味で使っている人は極めて少数派です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;このことを、哲学者の内田樹氏が分かりやすい比喩で説明しています。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;em&gt;「情報」というのは「処理済み」のものであり、「情報化」というのは「生ものを情報単位にパッケージすること」である。&lt;br /&gt;
魚屋が市場から来た魚を三枚におろす作業が「情報化」であり、パッケージされた切り身が「情報」である。&lt;br /&gt;
誰がどこでどのようにして「三枚におろして」いるのか、誰も見ることができない社会＝人々が切り身になってしまった魚を並べたり、入れ替えたり、交換したり、値札をつけたりする作業にのみ専念している。&lt;br /&gt;
それが高度情報化社会である。&lt;br /&gt;
切り身になる前の魚はいろいろな「使い道」がある。&lt;br /&gt;
ぶつ切りにしてもいいし、開いて干物にしてもいいし、塩に漬けて魚醤にしてもいいし、粕に漬け込んでもいいし、かちかちに日干しにして人の頭を殴ってもいいし、金肥にして畑に撒いても言い。&lt;br /&gt;
そういう無数の「解釈可能性」を「なまの魚」は蔵している。&lt;br /&gt;
「切り身のパッケージ」はそのありよう以外のすべてのありようを捨象した「残り」である。&lt;br /&gt;
「情報化」とは、「情報になる前の素材」を「情報」に精製する過程で、無限の解釈可能性の中から適切なものを一つだけ選び、あとを捨てるということである。&lt;/em&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;我々は、新聞記者を始めとする報道人は「生ものを情報化」するために存在していると思い込んでおり、情報化された結果が新聞などのメディアだと考えていますから、新聞を情報源などと呼称するのですが、複数の新聞を読み比べてみると、記事内容がほとんど同じ（時には一言一句同じ）ということがしばしばあります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;者が「生もの」に自ら接触することをせず、記者クラブの発表や通信社の配信をそのまま載せて満足してしまっていることの反映なのですね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;本来「情報化」に携わるべき人たちが「情報化された後の情報」を得ることで満足し、それを請け売りしているケースがあまりにも多いのが昨今のメディアであると言ってもいいでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;企業の舵取りをする我々としては、いくら新聞や雑誌・書籍を読もうとも、こういうメディアを「情報源」としてそのまま信じこんでしまってはダメなのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;本当に役に立つ情報を得ようと思えば、安易に「情報」になったものを得ようとするのではなく、「生もの」である場所や人に会いに出かけていき、「切り身にするか、ブツ切りにするか、はたまた魚醤を作るか・・・」といった&lt;u&gt;情報化のプロセスを自らの感性で行う&lt;/u&gt;ことが重要だと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「切り身」になってしまったものでも、焼いて食べるか煮て食べるか、味噌汁に入れるか・・・等の選択肢はありますが、「生もの」から想像し創造できるものの方が圧倒的に多いのは間違いないでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「生もの」に触れて「自らの感性で情報化」する。&lt;br /&gt;
なまじメディアや情報源（？）が多いだけに、我々はこういうことをきちんとやる能力を退化させているのではないでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-08-24T09:30:04+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/08/post-5ca1.html">
<title>終戦の日を前に</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/08/post-5ca1.html</link>
<description>独立して最初に事務所を構えたのが靖国神社から徒歩５分とかからない場所だったことも...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;独立して最初に事務所を構えたのが靖国神社から徒歩５分とかからない場所だったこともあって、同神社には幾度となく訪れました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;初めて訪れた際に驚いたのが、靖国神社の創建が明治２年と新しいことです。&lt;br /&gt;
（無知をさらけ出すようで恥ずかしいのですが、実はもっと古いと思っていました）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;戊辰戦争の後に「朝廷・天皇・政府側の立場で命を捧げた英霊を祀る」ことを目的に建立された靖国神社では、維新の立役者ではあっても西南戦争で反政府側として死んだ西郷隆盛などは祀られていません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;初めての訪問で「意外なほど新しい神社である」ことを知った時に、子供の頃に聞いた古老の話を思い出しました。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
子供の頃の遊び場の一つに、我々が「塔」と呼んでいた場所がありました。&lt;br /&gt;
実際には、その地区から出征して戦死された方の石碑だったのですが、悪ガキ達にとっては格好の遊び場でもありました。（石碑は今でも残っています）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;石碑には伍長という肩書きが彫られていましたから、階級的にはそれほど上位の方ではなかったのでしょうが、地元から出征して戦死された方への哀悼の意を込めて、地区の有志がお金を出し合って碑を建てたそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;当時、我々子供達が「じっちゃん」と呼んでいた古老は職業軍人だったそうですが、その「じっちゃん」は「正直言って、わしは戦死したら靖国に祀られたいとは思わんかった。もし戦死したら靖国ではなく、ずっとずっと昔からここにある神社に祀られて皆のそばにいたいと思っとった。さらに、こんな風に碑を建ててもらえたら、名誉の戦死をしたかいもあるというもんだ。」と言っていました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;正直言って、当時は話の意味を理解できなかったのですが、考えてみれば「じっちゃん」が戦争に行った当時、靖国神社はまだ７０年ほどの歴史しかなかった訳ですから、それこそ何百年も前から地元の人たちを見守ってきた神社に祀られる方が、有難みがあったのだろうと思いますし、個人の石碑を地元に建立してもらえれば、さらに名誉なことだと感じるのは自然な気持ちだったのでしょうね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;麻生首相が靖国神社を参拝しないことに決めたというニュースがありました。&lt;br /&gt;
麻生さんは「国家のために尊い命をささげた人たちを、政争の具とか、選挙の騒ぎとかにするのは間違っている」と発言しています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私は麻生支持者ではありませんし、発言自体も政治的思惑があってのことだとは思いますが、少なくとも発言そのものについては「その通り」だと思いました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;靖国については、右からも左からも（海外からも）いろんな意見が交わされます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「戦死した方々に祈りを捧げるのは当然だ」「戦争礼賛施設（遊就館というのがあって、過去の戦争における日本の正当性を前面に出しているのは事実です）のある靖国神社では祀られている人が気の毒だ」「Ａ先戦犯は合祀から外せ」「日本が踏みにじった国々のことも考えろ」等々・・・&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、右の意見にも左の意見にも決定的に欠けているのは、心ならずも命を落とすことになった方々の気持ちを真剣に忖度しようという「謙虚な気持ち」です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;儒家にいう「六芸」というのは、礼・楽・射・御・書・数を言いますが、最初に記される「礼」というのは本来、死者に対する葬礼のことです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「葬礼」とは「正しい服喪儀礼を行えば死者は鎮魂されるが、誤った服喪儀礼を行えば死者は甦って災いを為す」という信憑のことであり、この信憑を持たない社会集団はないと言ってもいいでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;目の前に存在しない「死者」とも正しいコミュニケーションを取ろうとする・・これこそが人間が人間たる所以でもあり、死者の想いを理解しようとして、真剣かつ謙虚に「礼」と向き合うことが人を磨く道の第一である。&lt;br /&gt;
古の賢者はそう教えているのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、靖国問題では、左右いずれの側に立って発言している人たちも、相手の言い分を聞こうともせずに、声高に自らの主張を一方的に述べ立てています。&lt;br /&gt;
少なくとも、そういう態度からは、常識ある人が死者を目の前にした時に思わず頭を垂れる、そんな謙虚さを感じることはできませんし、「礼」という言葉からは最も遠い行為であるとも言えます。&lt;br /&gt;
結局、命を落とされた方々を「自分の意見を通すための道具」にしているに過ぎない、そうとしか私には思えないのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;麻生氏がどのような思惑（おそらくいろいろあるのでしょうが）で言ったかはともかくとして、「心ならずも命を落とすことになった方々を前にして、ぎゃあぎゃあ騒ぐことは鎮魂にならない」ことだけは事実だと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私の地元にも、右から左までそれこそいろんな意見の人がいます。&lt;br /&gt;
しかし、終戦記念日には、少なくとも伍長の石碑の前では、大人たちは誰もが静かに手を合わせて祈りを捧げていました。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス</dc:subject>
<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-08-11T16:43:12+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/08/post-c11a.html">
<title>知識の隙間</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/08/post-c11a.html</link>
<description>アメリカの行動経済学者でジョージ・ローウェンスタインという人がおもしろい実験をし...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;アメリカの行動経済学者でジョージ・ローウェンスタインという人がおもしろい実験をしています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;無作為に選んだ一般人に全米５０州の州都を答えさせ、その後の反応を見る実験なのですが、２０から２５州の州都を知っている人は自分の知識を得意がるのに対して、４５～４８州の州都を知っている人は、自分の知識は足りないと思うのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ローウェンスタインは「好奇心や探究心が生じるのは、自分の知識に隙間を感じた時である」と述べています。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
先ほどの例だと、５０州の州都のうち半分程度しか知らないのであれば、それは隙間には成りえないのですが、４５～４８だと「あと少しで全部言えるのに・・・」と悔しい思いをするわけで、そこに「隙間」を感じているということなのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;隙間というのは必ずしも定量的な意味合いではありません。&lt;br /&gt;
推理小説を読んでいれば「誰が犯人だろう」と気になりますし、宇宙科学者は遠い宇宙を知れば知るほど、さらに次々と未知の天体への興味をかきたてられます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;重要なことは、知識に「隙間」を感じるためには、一定の知識を既に持っていなければならない、ということです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;２０～２５州の州都しか答えられなかった人が、知識の隙間を感じることなく自慢したがるように、宇宙に関して少量の知識しかない場合に未知なる宇宙への飽くなき探究心が生まれるのは難しいでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;どんな分野でも、我々凡人が「この人は、この世界で究めた人だろう」と思うような人に限って「まだまだ勉強です」とか｢死ぬまで勉強です｣と答えているのは、決して謙遜だけではないのでしょう。&lt;br /&gt;
「知れば知るほど、究めれば究めるほど、知識の隙間を感じてまだまだ先があることを痛感する」・・・いかなる分野においても、深く掘り下げた人ほどそういう想いになるのでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ひるがえって経営者の世界は・・・&lt;br /&gt;
外面的な成功云々はともかくとして、２０～２５州の州都をそらんじることができる程度で自信満々の経営者が決して少なくないように思われます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;経営も他の分野と全く同じではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;どんなに外見的に成功していようと、究めようとする気持ちを持ち続ける限り、探求すべきことはいくらでも出てくるはずです。&lt;br /&gt;
成功した（ように見えた）経営者が晩節を汚すことが少なくないのも、成功に甘えて知識の隙間を見つけることができなくなってしまった・・・こういうところに遠因があるのかも知れません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;常に勉強を続けることで知識の「隙間」を感じて好奇心・探究心を失うことのない・・・そんな経営者をめざさなければいけないなと思う今日この頃です。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-08-03T20:25:10+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/07/post-d2c7.html">
<title>官僚批判の愚</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/07/post-d2c7.html</link>
<description>選挙の夏が始まりました。 民主党の大勝が既定事実のように言われていますが、民主党...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;選挙の夏が始まりました。&lt;br /&gt;
民主党の大勝が既定事実のように言われていますが、民主党の政策やその実行可能性を細かく吟味することもなく、世の中の「空気」がそういう方向に流れてしまっているというのは危うい印象を持つのですが、山本七平氏が「空気の研究」で書いているように、一旦ある方向への「空気」が国民の間に形成されると、戦争遂行といった国家の運命を左右することでもさほど議論されることなく進んでいってしまうものなのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ここまで民主党への流れ＝「空気」が形作られたのは、民主党の努力というよりも自民党の自壊と言ってもいいと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;わが国では立法権と行政権が完全に分かれている訳ではなく、国民から多数党に選ばれた与党の代表が政府を作り官僚を使いこなしていく議院内閣制というシステムを採用しています。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
ですから与党の政治家は、政府に入った際には官僚をきちんとマネジメントしながら政策を遂行する「能力」を持っていることが本来絶対不可欠だし、そういう「能力」を持っている人物を政府の要職に就けるべきなのですが、実際には大半のポストは当選回数などの党内力学で決められてしまっているのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;会社でも、単に在籍年数が長いとか社長の覚えがめでたい・・などという理由で取締役に選ばれることがあるとすれば、その人は社員から馬鹿にされてしまうはずです。&lt;br /&gt;
その取締役が「社員が働かない。社員が馬鹿だ」などと言っても、自分の能力不足を笑われるだけでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;昨今、多くの政治家が官僚批判をしていますが、特に政権党に長くいた自民党の政治家がそのような発言をしていることについては、私には自分のマネジメント能力不足を露呈しているだけにしか思えないのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;高齢化社会の到来や中国など新興国の著しい勃興など、内外に難しい局面を抱える時代だからこそ、優秀（な人も多いはず）な官僚をきちんとマネジメントして正しい方向に向かって働かせる、という議院内閣制のあるべき姿を実現できる政治家が必要だし、そういう人物を見極めて投票することが、我々にも課されているのだと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今回の選挙で自民党が野に下るとすれば、議院内閣制にふさわしい責任ある組織に脱皮するための議論を重ねる良い機会ではないでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス</dc:subject>
<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-07-27T17:14:21+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/07/post-11d7.html">
<title>真理はバリエーションの中に</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/07/post-11d7.html</link>
<description>私がいつも疑問に思うことの一つに「勝ち組と負け組」とか｢成果主義はＹＥＳかＮＯか...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;私がいつも疑問に思うことの一つに「勝ち組と負け組」とか｢成果主義はＹＥＳかＮＯか｣といった二項対立の分類法があります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;新聞や雑誌・テレビなどのメディアにとっては「民営化賛成か反対か」「自民か民主か」等々、二項対立の議論にしてしまった方が分かりやすいのかも知れませんが、世の中の物事というのは、分かりやすく解決しようとすればするほど本質的な問題が置き去りにされてしまうように思うのです。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
そもそも自分自身を振り返ってみても「人には言えないような恥ずかしい考えや邪悪な考えを持ったこと」もありますし、その一方で恵まれない人々に対して「自分にできることは何とかしてあげたい」という素直な気持ちを持つこともあります。&lt;br /&gt;
凶悪な殺人犯が、路傍の花に感動し、小さな子供を可愛がる心を持っていても全然不思議ではありません。　人間とは複雑な生き物なのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ビジネスとは何か＝所詮金なのか、いやそれ以外の要素が大きいのかといった議論も二項対立になりやすいのですが、そんなに簡単に議論できるものではないと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;かつてライブドアの堀江貴文氏が「金で買えないものはない」と豪語した時、その発言に嫌悪感を抱いた人は少なくなかったと思います。&lt;br /&gt;
それまで堀江氏の活動に一定の理解を示していた私も、あの発言には辟易とさせられ、「人は金だけで動くのではない」「金で買えないものはいくらでもある」「人間にとって金より大事なものは心だ」・・・等々の感想が頭の中を駆け巡りました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし「じゃあ、金よりも心を強調するのだったら、お前が無駄使いしているお金を全額貧しい人に寄付しろよ」などと言われると、たちまち返す言葉につまってしまう自分がいることにも気づきます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「金がすべて」という考え方が反発を呼ぶのと同様に「心こそ大事」という考え方も、市井の我々にとっては、ある意味でファンタジーなのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;現実の人間は、両極の間を揺れ動きながら、時に一方に振れ、時にはもう片方に振れながら進んでいくものではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私が尊敬する経営者の一人、平川克美氏は「あらゆる思想性というものは、並び立たないものに勝敗をつけることのうちにあるのではなく、それらに折り合いをつけながら抱え込むことから始まる。なぜなら、それこそが人間が生きていくうえで真に対面すべき課題だからである」と述べておられます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私も同感です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;経営の現場にいる者にとって「利益を上げること」は至上命題ですし、銀行など企業を取り巻く関係者の大半にとっては「その企業が利益を上げているかどうか」が評価基準の全てだと言ってもいいかも知れません。&lt;br /&gt;
経営者はそうした期待に応えようと必死になります。&lt;br /&gt;
一方で、時に利害得失抜きに社員や顧客・取引先のことを考える経営者も決して少なくないと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;経営者も人間である以上、揺れ動きながら進んでいるのが現実なのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、往々にしてビジネスを語る人たちは単純な二項対立の議論で語ってしまうことになりがちなのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;社員を評価し報いる場面においても「成果主義か年功序列か」といった二項対立の議論になってしまいますよね。&lt;br /&gt;
でも、その企業が置かれている状況の中で、成果主義や年功序列をどの程度取り入れるかは個々に全く違ってくるはずなのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;新聞・雑誌・テレビなどのメディアやビジネス本を見ていると（マスメディアは単純化した方が売れますから）、単純な二項対立の極論で語ってしまうことになりかねませんが、実際の企業経営はそれではいけません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;経営者にとって重要なことは、極論と極論の中間にある無数とも言えるバリエーションが作り出す微妙なグラデーションを感じるセンスを持ち、自社にとって、その時点・その時点で最適なもの（常に最適なものなど、ありはしません）を感じ取る嗅覚を磨くことではないかと思うのです。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-07-13T07:29:15+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/07/post-dcd2.html">
<title>おとぼけアリの重要性</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/07/post-dcd2.html</link>
<description>アリの行列を見たことがありますよね。 小学生の頃、夏になるとアリの行列見たさに庭...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;アリの行列を見たことがありますよね。&lt;br /&gt;
小学生の頃、夏になるとアリの行列見たさに庭に菓子を放置し、一匹のアリがそれを見つけてから大行列ができるまでを飽きることなく見ていたことがありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;池谷裕二氏の「単純な脳、複雑な『私』」という本に興味深い話が載っています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;アリはエサを見つけるとフェロモンを出し、エサの一部を口にくわえて巣に帰るのですが、帰る道筋にフェロモンが落ちていきます。&lt;br /&gt;
フェロモンは揮発性かつ誘引性があり、このフェロモンに導かれて、巣にいる他のアリたちが次々とエサのところに行くことで行列ができるのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;基本的にアリはフェロモンに従って整然と行動する規律を持っているのですが、集団の中にはたまにとぼけたアリがいて、フェロモンとは全然違う方向にふらふらと歩いていってしまいます。&lt;br /&gt;
どの巣にもこんなとぼけたアリがいるのですが、進化の過程でなぜそんな非効率とも思えるアリが残ってしまったのかと言えば、そこには大きな理由があるのです。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
その理由とは、別のルートにふらふらと行ってしまうアリが、最初にエサを見つけて巣に戻ってきたアリよりも短いルートを見つける可能性があるからなのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;おとぼけアリが、もしも短いルートでエサを見つけたとすれば、巣の近くに落ちたフェロモン濃度が高い（ここで揮発性であることが効いてきます）ので、他のアリたちが新ルートに行列を変更するようになるのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;１００点満点のパーフェクトなアリ集団は、一見すると完璧で最強グループのような気がするけれど、結果としてはもっと効率的なルートを失うことにもなりかねない。周囲と行動を共にしない仲間がいることで、偶然にも効率的なルートが見つかる可能性を残しておく。そんな仕組みがアリには備わっているのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;FEDEXは、このアリにヒントを得て、宅配便のアルゴリズムを開発しました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ある地点から別の地点に荷物を運ぶ場合、最短と思われるルートだけを採用していると、特定の倉庫に荷物が集中したりして必ずしも効率的はないことがあり、一部の荷物をランダムに動かしてみたところ、最終的に最適な運搬経路を発見できたのだそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;以上が池谷氏の著書に載っていた話ですが、企業においても優秀で規律正しい連中ばかりを集めれば、一見凄い精鋭部隊ができるかも知れませんが、とんでもない大失敗をすることもあります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;以前にも書きましたが、ノーベル賞級の人材を集めたヘッジファンドLTCMの破綻などは、精鋭が大失敗をしでかした典型ではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;カリスマトップの下で一糸乱れぬ統制が取れている会社というのも、良い時はものすごい成長をしますが、何かが起きると一気に破綻してしまう・・・そんな例は枚挙に暇がありませんよね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;生物の世界は、多様性があることで全体が絶滅する危険性を減らしていると言います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;どんな巣にもおとぼけアリが存在していることで、むしろ全体最適になる可能性がある。&lt;br /&gt;
企業にも通じることのように思えますね。&lt;br /&gt;
私はオタク社員の存在に、それを感じます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;一見すると会社の成長や目標などに無関心のように見えるのだが、何やら真剣にやっている。&lt;br /&gt;
そんなオタク社員の存在が、時に飛んでもない新規事業への芽を見つける可能性にもつながるのではないかという気がするのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;企業もまた生き物であり、生物界の生存戦略が適応できる部分は随分とあるように思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;おとぼけアリ（オタク社員）が社内にいるとすれば、少しじっくりと観察してあげる余裕が必要なのではないか、そんな気がしてきました。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-07-06T16:43:11+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/06/post-2abc.html">
<title>他者がいるから自分がある</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/06/post-2abc.html</link>
<description>１１歳頃までフランスの森の中に一人で暮らしていたとされるアヴェロンの野生児やイン...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;１１歳頃までフランスの森の中に一人で暮らしていたとされるアヴェロンの野生児やインドで狼に育てられていたとされるアマラとカマラ姉妹など、古くから野生児に関する記述が各国に残っています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;野生児の多くは、人間社会に連れ戻されてからも「人間らしさ」をほとんど取り戻すことができなかったことが記録に残っています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これには「精神的な病気であった子供が親から捨てられたので、野生にいたから人間性を失くした訳ではないのでは」という説もあるものの、最新の脳科学を研究している池谷裕二氏は「そもそもヒトは、一匹だと人間になれない。ヒトが人間になるためには他者との関係が必要である。」と述べており、幼少期であっても人間社会から隔離されて育つことが、いわゆる「人間性」を獲得する上で大きな支障になるのではないかと考察しています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これと関連するのですが、過去の記憶についても興味深い話があります。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
大半の人は３歳以前の記憶を思い出すことができないと言われています。&lt;br /&gt;
実際、私自身が思い出せる人生最初の記憶も、４歳になる少し前頃に近所の友達と遊んでいる場面です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;現在分かっている学術的知見によれば、大半の人に３歳以前の記憶がないのは、３歳頃までは「自分」というものが確立されていないからだそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;記憶が脳に定着するためには、「自分と何か」「自分と他者」のように自分との関係性を理解していることが重要であると言われており、「自分」を意識できるようになるまでの記憶がないのは当然なのですが、そもそもヒトは「自分」という存在を最初に認識するわけではありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;実は、赤ちゃんは「他者」の存在を最初に認識するのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;目を開けるとそこにはお母さんやお父さん・兄弟姉妹や祖父母・・・周囲には様々な「他者」がいるということを認識し、その上で「他者ではない自分」という存在を意識するようになるのだそうです。&lt;br /&gt;
他者の存在を明確に認識し、その上で「他者ではない自分」をはっきりと意識できるようになるのが３歳頃なのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;確かに、冷静に考えてみれば「最初に他者ありき」は当然ですね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さらに、その後の人生において他者との関係性が複雑になることで、ヒトは社会性を備えた人間へと成長していくのだと言われています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ヒトが人間となるためには他者が必要だし、他者との関わりを通じて「自分」が形成されていくのです。&lt;br /&gt;
「ヒトは、一匹だと人間になれない。ヒトが人間になるためには他者との関係が必要である」と言われる所以です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今の「自分」があるのは生まれてからこれまでに出会った数多くの「他者」のおかげだし、｢他者との相対的な関係性｣によって「自分」が成長し形成されてきたというわけで、そう思うと、周囲に対して自然と謙虚になりますよね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私たちはついつい「私がやった」「私があのように考えたからこうなった」というように、現在の成功（？）はひとえに自分の力であるというような発言をすることがありますが、その「私」が現在の私になれたのは、人生において「私」が出会った多くの人たちとの関係性によって「私」が鍛えられ磨かれてきたからなのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして、明日の「私」は、これまでに会った人たちに加えて、今現在周囲にいる人々、これから出会う人々によって創られていく訳です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;宗教や道徳論などで「周囲の人たちに感謝しなさい」という文脈が語られることがありますが、実は「ヒトは他者がいないと人間になれないし、自分という存在は他者との関係性の結果である」という科学的知見を知らされると、精神論を言われなくても「周囲に対して謙虚な気持ちにならなければ」という思いが自然に出てきますね。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-06-23T08:11:46+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/06/post-235f.html">
<title>加害者になり得るかも知れないという視点</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/06/post-235f.html</link>
<description>食品偽装や脱税・談合・・・企業の不祥事が取りざたされるたびに「経営者の倫理観が欠...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;食品偽装や脱税・談合・・・企業の不祥事が取りざたされるたびに「経営者の倫理観が欠如している」という報道がなされ、当該経営者は徹底的に叩かれています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;メディアも、そこで論評している識者達も（そして我々も）、不祥事を起こした経営者に非難を注いでいる時は被害者と同じ視点に立っており、その視点から離れることができません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、どこかで何かがほんの少し違っていただけで、わずかの思い込みで、あるいはやむにやまれず・・・自分だって似たような状況にいたら加害者の立場になっていた可能性はないのだろうか。　そういう視点を我々は決定的に欠落させています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そもそも、不祥事を犯した経営者を「倫理観の欠如」という言葉で総括してしまってもいいものなのでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
確かに、彼らが法を犯したたことは事実です。&lt;br /&gt;
しかし、｢倫理｣とは「人としてどう生きるか」という規範であって、法に触れるか触れないかを測る尺度ではないはずです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;メディアは（いや、メディアだけでなく我々自身も）、法を犯した経営者を「倫理観の欠如した人間」として徹底的に糾弾しますが、その一方で法の許す範囲でコスト削減を徹底して利益を極大化した経営者には賞賛を与えます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;企業利益を追求した結果、法に触れるギリギリであっても内側にいて利益を上げたら賞賛され、少しでも踏み外したらメチャクチャ叩かれる。&lt;br /&gt;
結局、我々が問題にしているのは倫理観などではなくて、法律の境界のどちら側にいたかということだけなのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;だとすれば、「倫理観が欠如している」と指弾されている経営者たちの倫理観は、実は我々と大差なく、彼らが追求しようとした金銭への欲望は我々もまた共有しているものであるというイマジネーションを持つことなしに、メディア報道に乗って彼らの「倫理観」を云々し、被害者の視点からのみ非難することなどできないのではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;何かがほんの少し違えば、我々だって加害者になってしまう可能性があるかも知れないのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;株式会社という仕組みが誕生した当時、株取引をする投機家による不正やインチキが横行したことから、当初イギリスでは株式会社という組織を禁止していたことがありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;アダム・スミスは「企業とは利潤追求のために利己的に振舞う組織である」と述べました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「法には触れないけれど倫理的にはどうか」と思われるようなものでも、そこから受け取る利益が大きいとすれば、その誘惑に抗しきることができる企業経営者は決して多くはないと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;会社というものは、本来そうした胡散臭さを持っているのだという認識が我々には必要なのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;経営者にとって本当に重要なことは、法律を知ってうまく立ち回ることではなく、（放っておくと、本来胡散臭いものを持っているのが会社という組織だからこそ）自分が運営する企業とは社会にとってどういう存在であるべきか、そういうところまで思考のリーチを広げることだと思うのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;会社というものが本来持つ利潤追求のための利己的な行動と社会や従業員の利益とが結び合っていけるようなベクトルや論理をどう見つけるのか・・・一見きれい事のように聞こえるかも知れませんが、少なくとも経営している企業をゴーイングコンサーンとして永続させていきたいと思うのであれば、社会という生態系の中で企業が長期的に生き残っていくために必要なことは何なのか、そういうことを真剣に思索することが経営者の役割だと思うのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私自身、深い自省の念をも込めて・・・そう思います。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-06-11T13:34:36+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/06/post-3e62.html">
<title>モデルは正義ではない</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/06/post-3e62.html</link>
<description>デービッド・ハルバースタムが書いた「ベスト＆ブライテスト」というノンフィクション...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;デービッド・ハルバースタムが書いた「ベスト＆ブライテスト」というノンフィクションがあります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ケネディ政権の国家安全保障担当スタッフは頭脳・識見共に最高の人材（ベスト＆ブライテスト）を集めたと言われ、それを引き継いだジョンソン政権でも政策決定の中枢を占めました。&lt;br /&gt;
しかし、史上最高のスタッフと言われたそのエリート達によって、アメリカはベトナム戦争という泥沼の愚行に引きずり込まれていくことになります。&lt;br /&gt;
そのプロセスを描いた迫真のドキュメンタリーが、上記の書です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;経済の世界では、１０年ほど前に、ＦＲＢ副議長経験者やノーベル賞学者などを揃え「ドリームチーム」とまで言われたＬＴＣＭが破綻しましたし、昨年には、ハーバードやＭＩＴのＭＢＡなどを含む優秀な人材を揃えていたリーマンの破綻がありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;世界最高クラスのベスト＆ブライテスト達が、時に世界を巻き込むほどの大きな失態をしてしまう・・・それは一体なぜなのでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;いろんな要因があるとは思いますが、私は「成功モデルを『正義』と捉えてしまった」ことが大きな原因の一つではないかと考えています。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
自由主義経済や民主主義政治というシステムは、一つのモデルです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;人間が社会を構成するためには、拠って立つ何らかのモデルが必要であり、人類の歴史を通して、人間は数々の社会モデルを創りあげてきました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;自由主義経済や民主主義が人類の叡智の所産であり、一定の成功を収めたモデルであることは間違いありませんし、「自由主義経済や民主主義に取って代わるような優れた制度が今のところ見出せていない」ことも事実だと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、自由主義経済や民主主義政治においても、問題点はいくらでも噴出し得ることは、誰もが知悉していることです。&lt;br /&gt;
世の中に１００％完璧な制度やシステムが存在しないように、自由主義経済や民主主義政治がどれほど成功を収めたモデルであっても、それを絶対視することは危険です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、２０世紀を通して大きく発展し続けて超大国となったアメリカ（及びアメリカ国民）は、（その成功のゆえに）自らが信じるモデルを「正義である」と思い込むようになってしまったのではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;自ら信奉するモデルが「正義」であると信ずるからこそ、あれほど強引な外交や経済戦略も厭わなかったのでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;自由主義経済を信奉するアメリカは「マネー」信奉者でもあります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;マネーは人間を幸福にすることができる万能で強力なパワーであり、多くのマネーを獲得したものこそが成功者であり勝利者である。&lt;br /&gt;
そして、誰もが一夜にして巨額のマネーを握り成功者＆勝利者となる「アメリカンドリーム」を実現する可能性があるのがアメリカという国である・・・&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;アメリカが「正義」と信じる自由主義経済と民主主義の名の下に、「マネー万能モデル」をもまた正義であるとし、アメリカ経済界のエリート達はそれに基づく経済や企業のあり方に傲慢なまでの自信を持つようになりました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;アメリカ型マネー万能モデルは日本へも伝播し、「金で買えないものはない」と豪語した人がいましたし、村上ファンドの村上世彰氏がテレビカメラに向かって「皆さん、お金儲けは悪いことですか」と叫んでいたのを記憶している方もおられるでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私が尊敬する経営者である平川克美氏は「お金儲けは悪いことではない。しかし、お金儲けは悪いことですかと聞くのは良いことではない。それは問いではなくて、自らの行為を正当化したいだけのエクスキューズであり、同時に『お前だって金儲けはしたいんじゃないのか』という恫喝でしかないからである」と述べています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;お金儲けをしたいと思うことは悪いことではありませんし、私を含めて経営者なら利益を得ることを重要なことだと考えているはずです。&lt;br /&gt;
しかし、そのことと、お金儲けが正義であるかのごとく振舞うこととの間には、やはり決定的な違いがあると思うのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;お金は商品の前では万能かも知れません。&lt;br /&gt;
しかし、本来商品でないもの（例えば人間の精神的領域）に対してまで、お金の威力で支配できると思うのは傲慢でしかないでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;このブログで繰り返し述べているように、知性とは「自分は間違っているのではないか」と謙虚に振り返ることのできる能力だと、私は思っています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これまでいかに成功を収めてきたモデルであっても、「本当にそれでいいのか」「今後も、そのモデルを追及する姿勢が正しいのか」・・・こうしたことについて深く考えることを怠ってはいけないと思うのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ベスト＆ブライテスト達の破綻は、能力の問題なのではなく、モデルにしかすぎないものを、正義の域にまで高めてしまった「思想の敗北」なのだろうと私は思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;あるモデルや制度を「正義」であると考えてしまった瞬間から、人間は自説の正しさが届く限界が自覚できなくなってしまうのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;二宮尊徳の言葉に「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」というのがあります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「道徳」とは「これが正しい、だからこれをやるべきだ」とする態度ではありません。&lt;br /&gt;
そうした態度では、モデルを正義に置き換えてしまう愚を繰り返す可能性があります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「道徳」とは、あらゆるモデル・あらゆる考え方に対して「本当にこれでいいのだろうか」「もっと優れた違うやり方はないのだろうか」と、常に自分自身で深く考え抜く態度を持つことであり、そうした思索の末に「誰に見られても恥ずかしくない」と思える行動を取ることではないでしょうか。　少なくとも私はそう考えています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私たちの多くはベスト＆ブライテストではないからこそ、成功モデルに簡単に追随することなく、自分自身でしっかりと思索しなければなりません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;経済の最前線にいる経営者の役割として「なぜこの仕事をやるのか。仕事でお金を儲けたら、どのように使うのか。」こうしたことを真剣に考えることが、率いている企業や組織を破綻に導かないための方策でもあるのではないかと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;いかに成功したモデルや制度であっても、それは「正義」ではないし、明日も続けて成功する保証はないのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;謙虚に考え続けること・・・これこそが我々にできる最も有効な手段であるわけですし、いかなる企業や組織の未来も「人間の頭」から出たアイデアによってしか運営できないのですから・・・&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もちろん、経営者の吐く言葉が寝言にならないように「きちんと利益を挙げること」の重要性は言うまでもありませんが。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-06-02T17:02:21+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/05/post-9ba0.html">
<title>道徳について</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/05/post-9ba0.html</link>
<description>先日、インフルエンザ発生で政府が対策会議を開いている最中に、官房副長官という要職...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;先日、インフルエンザ発生で政府が対策会議を開いている最中に、官房副長官という要職にありながら愛人と熱海旅行に行き、その旅費には国会議員の公用に与えられるＪＲ無料パスを使用していた鴻池祥肇という国会議員がいました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;彼は病気を理由に副長官を辞任しましたが、政治家というのはおもしろいし分かりやすいですね。&lt;br /&gt;
だって、本当に病気の時は徹底して病気であることを隠そうとするのに、都合が悪くなると、すぐに入院してしまうのですから・・・&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さらにこの議員は、道徳教育に熱心だったことで有名だったというのですからあきれます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;このブログでも何度か書いているように、私は国会議員や中央政府の役人が教育に介入すべきではないと思っているのですが、ましてや道徳教育なんてもっての外でしょう。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
全身全霊をかけて国益に貢献しなければならない首相という職務を、自分の都合で放り投げた二人の世襲政治家や、泥酔状態で記者会見に登場して世界中に日本の恥をさらけ出した大臣。&lt;br /&gt;
国会に目を移せば、議論そっちのけで携帯メールのやり取りをしている議員も少なくありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もちろん、こういう議員たちを選んでしまった我々にも大きな責任があります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;自戒も含めて、こんな大人たちに「道徳教育」を強制されたのでは、教育を受ける子供たちもたまったものではないでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;道徳というのは、誰かの背中を見て学ぶものです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;道徳教育の必要性を声高に主張する以前に、大人たちが真っ当な生き方をしていれば、自然とその生き様は引き継がれていくのではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;子供たちの世界で、もしも道徳が失われているのだと言うのであれば、それは大人たちの背中から学べるものがなくなったことの証にしか過ぎない、というよりも大人たちの生き様を見ているからそうなったのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その一例が「交換可能性に言及する」子供が増えたことでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;以前に何度もこのブログで書いていますが、最近の学校では先生が教科書にないことを教えようとすると「それは何の役に立つの」と聞く子供が多くなっているのだそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;受験の役に立つ、それを知ったら得する・・・何かと交換可能でなければ勉強する意味がない、そう考える子供が増えているのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これこそ大人に責任があります。&lt;br /&gt;
「勉強したら、いい学校に行ける」「いい学校に入ったら・・・できる」等々、常に子供たちにニンジンをぶら下げることで勉強に駆り立てることはあっても、新しいことを学ぶことそのものの楽しさ・勉強によって新しい世界へとつながる喜びを教えてこなかった責任です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;仕事もそうですね。&lt;br /&gt;
「やりがいのある仕事」と「お金がたくさん稼げる仕事」を限りなくイコールにしてしまった大人たちによって、仕事本来のおもしろさや意義が語られることが少なくなってしまったのではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;子供たちに道徳を説く必要性を言うならば、自らが「誰かが見ていなくても、天に見られて恥ずかしくない言動をしているか」を冷静に吟味する必要があるでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;自らの行動を律することができる大人だけが道徳を説く資格があるのです。&lt;br /&gt;
そして、そういう人に限って「道徳」だの「倫理」だのを声高に言い立てません。&lt;br /&gt;
それは、何かを語らなくても、自らの行動で自然に人を感化できるからなのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;道徳は、強制して教育するものではありません。&lt;br /&gt;
大人たちが背中で語るものなのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
ところで・・・&lt;br /&gt;
件の鴻池氏の政治スローガンは「教育を変える・憲法を変える・社会道徳を変える」だったそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;鴻池氏は、現在の道徳が厳しすぎるから、もっと自分が勝手なことができるように社会道徳を変えようとしていたのでしょうかねえ。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ニュース</dc:subject>
<dc:subject>ビジネス</dc:subject>
<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-05-24T16:07:21+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/05/post-6cb4.html">
<title>弱い敵との共存</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/05/post-6cb4.html</link>
<description>掲示板などネット上の発言スペースでは「匿名」という事情も手伝ってか、驚くほど過激...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;掲示板などネット上の発言スペースでは「匿名」という事情も手伝ってか、驚くほど過激な発言が飛び交っていることがあります。&lt;br /&gt;
韓国では、ネットでの誹謗中傷の嵐に耐えかねた有名女優が自殺して、社会問題にまでなりました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;現代は、メディアなどを通じて大勢の人々が特定の意見に煽られやすく、いったん火がつき煽られた意見は、物事の本質やその後の影響などを誰もが深く考察することもなく、特定の方向に一斉に向かってしまうことがあります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;郵政民営化選挙での自民党への地滑り的投票もそうだったし、事件などが報道されると、法的には何も決まっていない段階で、特定の人物に対して異常とも思えるバッシングが起きることがあるなど、一斉に動き出した時の大衆（及び大衆を利用する人物）の影響力は恐るべきものがあります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;誰かがある意見を述べ、それを「正義」だと言い張って大勢の共鳴者を集めることができれば、それが集団としての決定事項になってしまうのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;オルテガ・イ・ガセーというスペインの哲学者は、今から８０年近く前に出版された「大衆の反逆」という著書の冒頭で「大衆が完全な社会権力の座に登った」と述べました。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
時代劇などを見ていると「お上のなさることだから・・・」といった発言をする庶民が出てきますが、ヨーロッパでもほんの２００年ほど前までは、自分が物事に対する「思想」を持っていると信じている庶民などほとんどいませんでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;１８世紀頃までの庶民は「政治家など社会上層部の人間たちが計画することや実行することが善いか悪いかを判断したり、賛成したり反対したりすることはできたが、庶民の行動は、他の人々の創造的な行為を肯定的あるいは否定的に反射することに限られていた。庶民は、政治家の思想に対して、自らの思想を対立させたり、自らの思想で裁こうなどとは願ったこともなかった」とガセーは述べています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ところが、基本的人権や市民権といった考えが広まってきたことや、庶民の所得水準が上がってきたことなどもあって、１９世紀以降、庶民は「自分が自分自身の主人であり、他のいかなる人間とも平等である」と自覚し始めるようになり、それに連れて「自分があらゆることに関して思想を持っている」と信じる大衆が増えてきたのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これは決して悪いことではないように思いますし、むしろ人類史上の進歩ではないかとさえ思えます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、ガセーは「必ずしもそうではない」と述べています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「そもそも思想というのは、真理を欲し、真理を極めようとする強い意志と深い思索から生まれるものであり、浅薄な知識を振りかざして思想とか意見とかいってみても無意味である」とガセーは言います。&lt;br /&gt;
しかし、浅薄な知識に基づいた思想や意見であっても、それに共鳴する人間を圧倒的な数まで集めることができれば、数の力に勢いづけられて、浅薄な思想や意見でも他者に強制することができるのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「大衆が権力者の座に登った」と言われる所以ですし、メディアが第三の権力と言われるのも大衆動員力を持っているからです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ここで厄介なのは、大衆が（あるいは大衆を利用しようとする誰かが）数の力を背景に権力を行使する時は「言論の自由」などの錦の御旗を掲げていることです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし「自由」の名の下に行われている実際の行為は、多数派による少数派への「暴力」であることが決して少なくありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;KYという言葉があります。&lt;br /&gt;
しかし、こういう言葉の使い方は、集団の中で異論を述べる人間を「KY（空気が読めない奴）」として粛清してしまう可能性につながりかねないとも思うのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「言論の自由」というのは、何を言ってもよい自由ではありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;オルテガ・イ・ガセーが「自由」に対して述べている一文があります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「自由主義とは政治権力の原則であり、（権力側である自分たちの権力が、仮に絶対的であったとしても）原則に基づいて自分を制限し、自分を犠牲にしてまでも、自分たちが支配している国家の中に、その社会的権力、つまり最も強い人々・大多数の人々と同じ考え方や感じ方をしない人々が生きていける場所を残すよう努めることである。自由主義とは至上の寛容さなのである。我々は、このことを忘れてはならない。自由主義とは、多数者が少数者に与える権利なのであり、だからこそかつて地球上で聞かれた最も気高い叫びなのである。自由主義とは、敵との共存・そればかりか『弱い敵』との共存の決意を表明するものである」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この一文で最も重要なフレーズは「弱い敵とも共存する決意」という部分です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;強い敵というのは簡単に倒せない訳ですから、こちらの意思とは関わらず、当面は共存せざるをえないことが多いでしょう。&lt;br /&gt;
しかし「弱い敵」は、その気になればいつでも一気に倒すことができるし、抹殺することもできるわけです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、仮に自らが圧倒的な権力者の側にあってもそれをせずに「弱い敵が生きていける場所を用意し、弱い敵とも共存できる」度量を持つことこそが、人類が発明した自由主義の気高さであり、根幹でもあるわけです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ガセーは「自由主義という、かくも優雅で曲芸的で自然に反するような優れた思想に人類が到達したとは信じがたい」と述べ、だからこそ「同じ人類がたちまちそれを廃棄してしまうかも知れない」とも述べています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;大衆が「自由主義の本質」を忘れて行動する時、それは弱い敵を徹底的に糾弾し、時には完全に抹殺することにつながります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ガセーが「大衆の反逆」を出版したわずか３年後、ドイツで一人の男が大衆の心理をつかみとることで政権を獲得し、大衆権力の上に乗って少数派を徹底的に抹殺しました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして、８０年後の今日、ネットなどのメディアを通して、匿名性の高い「大衆」が権力を持ちえる状況が出現しています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今こそ、自由主義の根幹を支える「弱い敵との共存」という真理を、我々は再認識すべき時ではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私は、強くそう思うのです。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス</dc:subject>
<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-05-17T13:48:23+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/05/post-938d.html">
<title>小沢さんの辞任会見</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/05/post-938d.html</link>
<description>小沢さんの辞任会見とそれに続く麻生首相のインタビューをテレビで見ました。 小沢さ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;小沢さんの辞任会見とそれに続く麻生首相のインタビューをテレビで見ました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;小沢さんの会見は「言い訳と、格好をつけることに終始した」ように私は感じましたし、野党トップとして国民に向けて説明したというより、身内を強く意識した発言であったようにも感じられました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その直後、麻生首相がインタビューに応じて「なぜ、この時期なのか、どういう理由なのか私には分かりませんねえ。国民の皆さんも同じ思いではないですかねえ」と首を捻りながら答えていたのですが、理由なんてよ～く知っているのに、国民に媚を売るために敢えてそう言っているような白々しさを感じさせ、背筋を何か冷たいもので撫でられたような嫌な気持ちになりました。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
大きな組織のトップであり、国民に大きな影響を及ぼす力を持つ二人の発言を聞きながら、何か悲しくなってしまいます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;議会政治の下での政党トップは、何かを実現させようとすれば、国民から自党を支持してもらって候補者を多数選択してもらうことが極めて重要です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;だとすれば、党首がメディアで発言することは、企業におけるPRのような（時にはそれ以上の）影響力があります。&lt;br /&gt;
実際、昨今では党首の人気度が投票行動に反映されることが少なくありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それなのに、小沢さんも麻生さんも発言を聞いている限り、国民の琴線に触れる発言が全くといっていいほどできていないのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;企業のトップでも「業界と組織の論理」にどっぷり漬かっていると、顧客が見えなくなってしまう経営者は枚挙に暇がありません。&lt;br /&gt;
不祥事の謝罪会見などを見ると、はっきり分かりますよね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;小沢さんも麻生さんも「政治の世界」「党内力学」にばかり目がいってしまい、本当に国民（企業で言えば顧客）のことを見ようとはしていないのでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;だからああいう発言になってしまうのだと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;まあ、党首になるためには党内力学こそが重要だから、どうしても身内を意識してしまうのかも知れませんが、社内抗争の末に就任した社長に、本当に素晴らしい業績を残した人なんていないんじゃないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それに、長くトップにいたければ、社長ならば顧客をつかむ仕事のできる会社にして業績を上げることが一番です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;政党だって同じですよね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;国民から認められて、選挙で自党候補者が多数当選すれば、身内からも党首交代しろなんて言われません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;政党にしろ、企業にしろ、国民や顧客に有益なことを為すために存在しているのですが、そういう本質的なことを忘れているトップが多いことは残念ですね。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-05-13T08:06:16+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/05/post-3f22.html">
<title>就活と婚活は消費者的態度からの脱却こそ</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/05/post-3f22.html</link>
<description>物心ついた頃から、テレビや新聞・雑誌などを通して「これでもか」と言うくらい商品広...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;物心ついた頃から、テレビや新聞・雑誌などを通して「これでもか」と言うくらい商品広告を浴び続けてきた我々は、あまりにも日常的にどっぷりと商品広告に漬かってきたせいで、生き方まで消費者的な構えになってしまったのではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;高校教師をしている友人が新しい生徒を迎えるたびに嘆くのは、教科書にないことを教えようとすると「それを覚えたら何か得になるの？」とか「それって受験に役立つの？」と生徒たちが聞いてくることです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;自分が知らなかったことを会得する喜びや新しい知識を得ることで外の世界へとつながっていく喜び・・・そういう学問本来の喜びにではなく「勉強すれば何かと交換可能で、それが得になるかどうか」に関心がある。まさに消費者的態度で学問を捉えようとする子供を友人は嘆いているのですが、思い返せば私自身も「勉強したらいい学校に入れる」とか「いい学校に入ったら＊＊＊できる」と言った「交換のフレーズ」をいつも周囲から聞かされてきたように思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;既に私の親の代から、消費者的態度が植え付けられていたのですね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;社会人になっても消費者的態度は強まるばかりです。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
例えば「その人の消費生活で相手を判断する」ことも、そうした証でしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ある人を話題にする時に「あの人はベンツに乗っている」「あの人は大きな家に住んでいる」等々、その人の消費生活（すなわちお金があるかないか）を中心にして人を判断していることって結構ありますよね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;お金の有無は人を判断する一つの側面ではあっても、人柄や知性といった人格を評価する要素はもっと別のところにあるはずですが、我々は消費生活（金のあるなし）で人を評価することが、あまりにも多くなりすぎているように思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;最近ではネットなど情報入手手段が豊富になったことで、自分にとってベスト（？）な商品選択肢をいくらでも簡単に探せるようになりました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「もっといいものがないか」「もっとお得なものがないか」・・・というわけですが、これって「どこかに自分にぴったりと合った仕事がないか」「どこかに自分と最高の相性を持つ相手がいないか」というフレーズと重なるような気がします。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
昨今、話題に上ることの多い「就活」と「婚活」にも、消費者的態度は大きく影響しているのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;考えてみれば、就活や婚活をビジネスの種にしている企業が数多くありますし、そういう企業は広告もするわけですから、メディアが消費者的態度に働きかけるような捉え方をするのは自然でもあります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかしながら、多少なりとも人生経験のある人ならばお分かりになるでしょうが、仕事や結婚において青い鳥なんてものはまず存在しません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;仕事の場においては、どのような状況下でどのような人とチームを組まされても良好なコミュニケーションが取れて、相手の潜在能力を引き出して、チームとして高いパフォーマンスを発揮できる人間が「仕事ができる人」であることに、良識ある企業人なら同意頂けると思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「こんな会社では・・・こんな上司や同僚では・・・自分の本当の能力も『自分らしさ』も発揮できない」と不満を持ち、「どこかに私の能力が全面開花する理想の職場があるに違いない」と思って離職転職を重ねる人間に仕事のできる人がいたためしはありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;結婚だって同じではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;消費者がカタログを見て決めるように、「顔やスタイル・学歴・収入・・・」という（自分が求める）条件を全てクリアしたからといって、結婚生活が幸せになるかどうかが決まるわけではないのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;仕事も結婚も、相手を選択すること以上に、その後自分がどのように相手に関わっていくかによって成否が決まる。そういうものです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;倒産や破産から復活した経営者に共通しているのは「まだ自分自身が残っている」と思える「自分の可能性に対する揺るぎない自信」であると聞いたことがあります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「どんな状況になっても、もう一度自分は成功してみせる」という強い気持ちには、「次はいい会社に入るぞ」などという「幻想」はありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;会社なんかなくても（現に失くしたわけですが）、どんな状況が到来しても、自分の力で何とかしてやる、という強い気持ち。&lt;br /&gt;
私は、こういう気持ちこそが生き方を根源的なところで支えるのだと思っています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「どんな会社に入っても・どんな相手と結婚しても自分は幸福になってみせる」というゆるがぬ決断を持つことの方が、「会社選び・相手選び」に汲々とすることよりもはるかに重要なことではないのでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;小さな頃から消費者的態度がしみついている我々にとって、「選択する」ことが最大の関心事であり、「選択した後こそが重要」というフレーズは、ともすればメディアの声にかき消えてしまうのですが、就職・結婚こそメディアに踊らされてはいけません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;だまされたと思って、おじさんの言うことにも耳を傾けてほしいですね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;選択することに力を入れるよりも・・・&lt;br /&gt;
自分自身の潜在可能性を信じて、潜在可能性を磨くことに、もっと力を注ぎましょう！&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス</dc:subject>
<dc:subject>恋愛</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-05-02T14:09:06+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/04/post-27f6.html">
<title>新しい仕事の芽</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/04/post-27f6.html</link>
<description>４月は、新しい仕事の準備に追われつつ楽しく過ごした１ヶ月でした。 新しい仕事とい...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;４月は、新しい仕事の準備に追われつつ楽しく過ごした１ヶ月でした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;新しい仕事というのは、元々当社が取り扱っている商品のメーカーに当社メンバーが直撃取材して、カタログなどに記載されていないような情報を聞き出してブログにまとめていたのですが、それが意外に好評で月間２万人の読者を数えるまでになったことから、ブログからWEBマガジンに昇格させて、より多くの商品を取り上げていこうということになったのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www.e-designlist.com&quot;&gt;イーデザインリスト&lt;/a&gt;というWEBマガジンで、スタートしたばかりなので、まだまだこれからではありますが、社内の自主的活動から新しい芽が生まれてくるのは素直に嬉しいですね。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
ただ、元々のブログが人気を博すようになったのには、実は昨今の経済環境が少なからぬ影響を与えているのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これまで東京以外にもショールームを置いていたメーカーが東京だけに絞ったり、各地で商品展示をしていた会社がスペース削減から取り止めたり・・・といったことが重なって、首都圏以外の消費者が商品を間近に確かめる場が少なくなってきたのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;消費者目線かつ野次馬精神で直撃取材していたブログが、首都圏外の消費者にとって擬似体験できる場という役割を果たすようになったことが、ブログが注目されるようになった大きな理由の一つでもありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;自分たちが気楽に運営してきたブログに対して、首都圏外の方々からの熱い視線を感じるようになり「これはもっと真剣にやらねば」と気合を入れ直したというのが実情です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;WEBマガジンを運営しているメンバー共々「こうした方々の期待を裏切らないようにしなければいけないね」と思いも新たに取り組んでいます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;厳しい経済環境の中で、こうして新しい機会を思わぬ形で頂けていることに感謝しなければいけないと感じています。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-04-28T22:06:30+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/04/post-7210.html">
<title>見えているか</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/04/post-7210.html</link>
<description>外食する楽しみというのは、単においしい店ではなくて「いい店」と出会えることが一番...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;外食する楽しみというのは、単においしい店ではなくて「いい店」と出会えることが一番だと思っています。&lt;br /&gt;
	&lt;br /&gt;
「いい店っておいしい店じゃないのか・・・」&lt;br /&gt;
確かに食事がおいしいこともいい店の条件ですが、それだけではありません。&lt;br /&gt;
「いい店」とは「おもてなしの心」が店全体に行き渡っていることが必須条件なのです。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
いくらミシュランなどで高い評価を受けていても、オーナーや店主が高飛車だったり自慢気にしている店や慇懃無礼な従業員によるバカ丁寧な対応の店・・・はいくらでもありますし、チェーン店にいたっては「いらっしゃいませ、こんにちは」とか「はい、喜んで」と言いながら少しも喜んでいる気配がなく、ただただ大声を出している・・・なんていうのがゴマンとあります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;食は五感で味わう、と言います。&lt;br /&gt;
料理そのもののおいしさはもちろん重要ですが、「お越し頂いてありがとうございます。今日はゆっくりと食事を楽しんでくださいね。」という「おもてなしの気持ち」が感じられる店って、やっぱりあるし、そういう店に出会うと本当に幸せな気持ちになります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;中沢新一氏の「愛と経済のロゴス」という本は、「贈与」が経済活動の原初であり、そこから「交換」を経て貨幣経済に至ったことを説明しています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;古代から世界中に「贈与」の習慣があったそうですが、どこにおいても共通しているのが「贈り物はモノではない」ということだそうです。&lt;br /&gt;
中沢氏は「贈り物はモノではない。モノを媒介にして、人と人との間を人格的な何かが移動している」ものであると分析しています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;贈与から交換を経て進化した経済活動においても、実は同じことが言えるのではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;おいしい食事を提供していればそれでいい、のではなく、オーナーや店主さらには従業員から伝わってくる「人格的な何か」が「おもてなしの心」に裏打ちされているのかそうでないのかは、少し注意深い客なら分かるのではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;いい店だったのに、メディアで紹介されたり、支店を出したりした途端におかしくなるケースも少なくありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;おそらく、オーナーや店主の「人格的な何か」が変質してしまったのでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;レストランのオーナーや店主もまた経営者ですから、事業を大きくすること自体が悪いわけではありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかしながら、事業規模が大きくなったことで少々天狗になってしまい、客に伝わる「人格的な何か」が必ずしも客にとって心地よいものでなくなってしまったのだとすれば、一時的には拡大できても、やがて衰退への道を歩んでいくのではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
「人格的な何か」が変質する大きな要因の一つは、客や社内を謙虚に「見ることができなくなる」ことだと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;心のこもった「贈り物」をしようとすれば、誰しも相手のことを真剣に考えますよね。&lt;br /&gt;
「見る」というのはそういうことです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;でも贈与から発展した経済活動においては、相手が見えないままで商売をしていても平気な経営者が少なからずいるのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今回の米国発の金融危機において、サブプライム関連商品のように自分たちでもコントロールできないほどに複雑化した商品を開発して販売してしまったことも、経営トップが顧客を見なくなって、金融業本来の意義や客への敬意を置き去りにしたことに原因があるように思うのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;同じ金融業でも、ロンバー・オディエ・ダリエ・ヘンチやピクテと言ったプライベートバンクはサブプライム関連商品に手を出さず、金融危機の影響をほとんど受けていないと言います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;両社の経営陣に共通しているのは「自分たちに見えない・理解できない範囲のことはやらない」ということだそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;業容が拡大すれば、事業家ならばたいてい意気揚々となります。&lt;br /&gt;
しかし、事業拡大に夢中になることによって顧客や社内が見えなくなり、そのことで「人格的な何か」が変質してしまっている経営者もまた少なくありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;人間というのは調子に乗りやすい動物でもありますから、事業が拡大している時こそ、商売の原点に立ち戻って顧客を見つめなおす作業を怠ってはいけないのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;大事な人に贈り物をする時に真剣に相手のことを考えるのと同じように、常に顧客を見つめ続け「人格的な何か」に磨きをかけることを、経営者は忘れてはいけないのだと思います。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-04-20T18:07:47+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/04/post-d7f7.html">
<title>上司は何を教えるべきか</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/04/post-d7f7.html</link>
<description>新入社員も会社に少しずつ慣れてくる時期になりました。 内定取り消しや入社後に自宅...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;新入社員も会社に少しずつ慣れてくる時期になりました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;内定取り消しや入社後に自宅待機をさせる会社があるなどの厳しい世相を反映してか、「今年の新人は真面目で新入社員教育にも熱心に取り組んでいる」という経営者の声をよく聞きます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;新人を配属された上司の多くは「知識や経験を伝達してやろう」と意気込んでいるのではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ところで、師という立場につくことになった上司にとって必要不可欠なことは、知識や経験の豊富さではないと私は思っています。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
知識や経験を伝達されることが有益である場合もありますが、過去の知識や経験がかえって妨げになることもあるのがビジネスの世界です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;エマニュエル・レヴィナスという哲学者は「師が弟子にもたらす最も重要な教えは、外部が存在することを教えることである」と説きました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;師にとって重要なことは、何事か有益なことを弟子に教えるのではなく、弟子の「外側」に「知」が存在することを気づかせることなのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;学問をするということは単に過去の知識を学ぶということではなく「学び方を学び」「学ぶことで外の世界へとつながることの喜びを知る」ことであるべきだと言うことなのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;仕事においても同じだと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;どんな仕事でも、深く堀り下げれば必ず「おもしろさ」に出会うことができることを、経験の長いビジネスパーソンなら経験的に分かっていますよね。&lt;br /&gt;
仕事を通して自ら学習し多くの人の話を聞くことで、どんどんと世界が広がり、それによって自らの仕事の充実を実感できることも、ビジネス経験の長い人ならば理解できるでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;仕事によって新しい世界を知り、外の世界とつながることの喜びやワクワクするような高揚感を得る。&lt;br /&gt;
金銭的報酬もさることながら、これこそが仕事をすることの本来の醍醐味であり、楽しさでもあるはずです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;上司が後輩や部下に本当に教えるべきことがあるとすれば、正にこういう根源的なことでなくてはならないと私は思うのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;禅において重要なことは、弟子が既存の体系や概念にすがりつくのを止めて、ある種の漂流のうちに踏み込ませることだと言います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;思想とは学ぶものではなく、それを生きるものだと覚知することだというのが禅の教えでもあります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;けだし、ビジネスにおける上司と後輩・部下の関係もそうあるべきだろうと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;師は過去の知識や経験を教えるのではないのです。&lt;br /&gt;
師とは、「弟子が外部の世界に気づき、弟子自身が答えを見つける、その瞬間を演出する者」ではないでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-04-12T10:02:39+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/04/post-e2a5.html">
<title>人としてのプロ</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/04/post-e2a5.html</link>
<description>１９８９年のビロード革命によって誕生した新生チェコの初代大統領として１９９３年か...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;１９８９年のビロード革命によって誕生した新生チェコの初代大統領として１９９３年から２００３年までトップの座にあったヴァーツラフ・ハベル氏は、冷戦時代には人権擁護や民主化を要求して幾度となく逮捕・投獄された経験を持っています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;文学や芸術にも造詣が深く人格者でもあるハベル氏は、会った人誰もがその魅力を語るような指導者でもありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そのハベル氏が、大統領職を辞した後に（確かCNNとのインタビューだったと思いますが）自戒を込めたこんなメッセージを残しています。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
「私には国民のために政治をしているという自負があり、少なくとも権力に固執するような人間には絶対にならないという自信があったのだが、実は大統領職の後半になると、権力の座を手放したくないという気持ちに負けそうになることがしばしばあった」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;このコメントに接した時「あのハベル氏ですらそうなのか」と驚いたのですが、ハベル氏であるがゆえに、このように率直なコメントを出せたのだろうと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;権力の魔力は、時として人を惑わせます。&lt;br /&gt;
「自分は偉いのだ」「自分は何でもできる」「人は自分についてくる」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;政治の世界でも企業でも、業績を上げてトップの座に就いた人は、当然ながら仕事の面ではプロフェッショナルとして評価されるべきものを持っていたはずですが、権力の座を正しく使う能力に欠ける人も少なくありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;例えばバーナード・マドフ。&lt;br /&gt;
NASDAQのトップとしての知名度を活かして巨額のネズミ講を運営した挙句にFBIに逮捕されました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;例えばビッグスリーのトップ連中。&lt;br /&gt;
彼らは、政府の救済を求める公聴会に自家用ジェット機で乗り付けて顰蹙を買いました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;金融企業では、政府の支援を受けながら自らの巨額報酬についてはダンマリを決め込んでいるトップがいます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;時として「悪い奴の方が仕事はできる」とか「仕事ができれば多少のことは・・・」という意見を吐く人がいます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;短期的にはそういう見方も「あり」かも知れません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、それでは長期間に渡って「人を動かす」ことはできないでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ゴーイングコンサーンとして、社会に関わっていく組織であるためには、組織のメンバーが自発的に優れた動きをすることが不可欠であり、それにはトップに「人を動かす力」が備わっていなければなりません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;前回のブログで、技術論などのテクニック以前に人としての根幹を鍛える勉強が必要であることを記しましたが、トップとしての能力でも同じようなことが言えると思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;仕事のプロであることは当然不可欠ですが、それ以前に「人としてのプロ」であることが、組織のトップには求められているのではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;人としてのプロであるためには何が必要か。&lt;br /&gt;
私は「知性」と「自らを含めた状況を俯瞰する能力」であろうと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私が言う「知性」というのは、知識や経験の蓄積ではありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;何度かブログでも述べていますが、知性とはどんなに自分に自信があっても「自分は間違っているかも知れない」「他者の意見の方が正しいかも知れない」と思うことのできる能力なのです。&lt;br /&gt;
そういう基本的な備えを持った上で、自分を含めた状況を俯瞰する能力があれば、自分に足りない部分を冷静に判断することができ、必要な部分を補おうという行動につながっていきます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;トップの不祥事や傲慢さを目にするたびに、仕事のプロであると同時に人のプロであることの重要性を強く感じます。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-04-07T12:08:15+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/03/post-305b.html">
<title>福翁の至言</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/03/post-305b.html</link>
<description>巷に、オーラルコミュニケーションを教える英会話学校は至るところにありますが、英語...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;巷に、オーラルコミュニケーションを教える英会話学校は至るところにありますが、英語（フランス語でも中国語でも）の原書を読むための学校はほとんど存在しません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;なぜ外国語（それもオーラル）にこだわるのかと聞けば「英語を話せるようになれば良い仕事につける」とか「報酬が上がる」といった実利目的を答える人が極めて多いように思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;まあ「キャッチャーインザライや白鯨を原書で読みたいから」などという理由で英語を学ぼうとする人など、ほとんどいないであろうことは私にも想像できます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もちろん「＊＊するために」勉強することが悪いわけではありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、あまりにも実利目的での勉強を意識し過ぎると、逆に本人の「真の利益」にはならないのではないかという気がするのです。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
日本最初の英語学習者の一人・福沢諭吉は、当初は大坂にあった緒方洪庵の適塾で蘭語を猛烈に勉強していたのですが、それは必ずしも立身出世のためではありませんでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;と言うより、江戸では蘭語ができると幕府や諸藩のお抱えになるという「道」が用意されていましたが大坂ではそうはいかない。どれほど蘭語ができても、それがすぐに立身出世につながるわけではなかったのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;岩波文庫版福翁自伝には、このように記されています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「兎に角当時緒方の書生は、十中の七、八、目的なしに苦学した者であるが、その目的のなかったのが却って仕合で、江戸の書生よりも能く勉強が出来たのであろう。ソレカラ考えてみると、今日の書生にしても余り学問を勉強すると同時に始終我身の行く末ばかり考えているようでは、修行は出来なかろうと思う。さればといって、ただ迂闊に本ばかり見ているのは最も宜しくない。宜しくないとはいいながら、また始終今もいう通り自分の身の行く末のみ考えて、如何したらば立身が出来るだろうか、如何したら金が手に這入るだろうか、立派な家に住むことが出来るだろうか、如何すれば旨い物を食い好い着物を着られるだろうか、というようなことにばかり心引かれて、齷齪勉強するということでは、決して真の勉強は出来ないだろうと思う。」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;なかなか鋭い意見ですよね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;福沢の言う「真の勉強」とはどういうことなのでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;福沢が生きた幕末から明治にかけては、実に多くの英傑達が出現しました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;彼らは山口や鹿児島・土佐・大坂などにあった藩校や私塾で一生懸命勉強をしていましたが、そうした学問の場では、動乱の時代にあって彼らが必要とした、他藩との連携技法や諸外国との交渉術・新政府の作り方などといった処世術が教えられることはありませんでした。（だって、そんなものは江戸時代を通じて必要ではなかったのですから）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;彼らは、はるか昔から学び継がれてきた漢文の素読や蘭学の猛勉強を通して、ただただ古今東西の知恵を徹底的に吸収していたのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、そうした基礎的な学問の積み重ねは、実は「人間を造る」ことにつながっていました。&lt;br /&gt;
乱世で必要なのは、技法や技術といった「テクニック」ではなくて、何が起きても対応できる「覚悟」のようなものを備えることです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そういう「覚悟」のようなものは、古今東西の知恵の積み重ねや修羅場をくぐった実体験によってしか得られないのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;修羅場をくぐる以前の英傑達が、基礎的な学問を徹底的にやっていたことは、結果的には極めて実利的でもあったということなのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;スポーツの世界において、どの種目でも必要かつ重要なことが「体幹を鍛える」ことであると言われます。&lt;br /&gt;
体幹を鍛えている人とそうでない人では、プレーの質や巾が違うと言われます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;勉強にも「自分の根幹を鍛える」類のものがあるのではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;幕末のような乱世において、これまで誰も経験したことがないような事態に遭遇した時に力を発揮するのは、おそらく「自分の根幹を鍛える」勉強をしていた人であったのだろうと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;現在においても、優れた経営を長く続けられているトップの方々は、哲学や歴史・宗教などを徹底的に勉強されていることが少なくありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;経営とは常に未知との出会いだと言ってもいいでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ビジネス書の類には過去の成功事例に基づいたテクニック論のようなものは載っていても、未知との出会いにおいては通用しないことの方が多いのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;未知との出会いや修羅場をいくつもくぐってきた経営者であればこそ、「もっともっと自分の根幹を鍛える」ための勉強の重要性が分かっておられるのだと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今の時代に求められる勉強とは、まさにそういう勉強ではないかと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;厳しい時代を歩む経営者こそ、福翁の至言に耳を傾ける必要がある。&lt;br /&gt;
そんな気がしています。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-03-26T12:44:42+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/03/post-09b0.html">
<title>アンフェアなＷＢＣに思う</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/03/post-09b0.html</link>
<description>普段野球にそれほど興味を持っていない人も、ＷＢＣでは日本の活躍が気になりますよね...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;普段野球にそれほど興味を持っていない人も、ＷＢＣでは日本の活躍が気になりますよね。&lt;br /&gt;
ＷＢＣのあり方に極めて批判的な私も、いざ大会が始まると日本チームの結果が気になり、優勝には感動しました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私がＷＢＣに批判的な理由・・・それはフェアという言葉を大切にするはずの米国による大会運営が極めてアンフェアだからです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そもそも米国メジャーリーグによって提唱された世界大会の開催に対して、日本や韓国は当初反対していましたが結局は押し切られてしまいました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私は、あの時日本と韓国が結束して知恵を絞っていたら、日本（韓国）のプロ野球をもっと発展させることも不可能ではなかったと思うのですが、残念ながらＷＢＣという大会方式を認知することによって機を逸してしまったのではないかと思えてならないのです。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;そもそもＷＢＣというのは、メジャーリーグのオーナーと選手会が折半出資したＷＢＣ株式会社が主催する形を取っており、利益分配にしてもメジャー側が自動的に３５％を受け取る（日本７％・韓国５％・その他６％で、残り４７％が成績に応じた賞金）という極めてアンフェアな大会です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ＷＢＣが提唱された当初、日本と韓国それにＩＢＡＦ（国際野球連盟）は、ＩＢＡＦ主催による加盟１１３カ国全てに開かれた大会にすべきと主張したのですが、オリンピックを含めて自らが関与しない大会への選手派遣を拒否するメジャーリーグ側の反対に遭います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;日本・韓国はWBC運営委員会への参加を認められたことや（米国以外に、国として委員会参加が認められたのは日本と韓国のみで、これもイビツです）、読売新聞がアジア興行権を獲得したこともあって、結局メジャー主導のＷＢＣを認めてしまいます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、一国のリーグが強く関与した大会になったがゆえに、参加国は招待制・同じ国同士が何度も何度も戦う仕組み・アメリカ相手の試合でアメリカ人の審判が出てくる・・・等々、サッカーのワールドカップや他競技の世界選手権から見たら、およそ不透明な大会になってしまいました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;決勝までに９試合戦った日本は、５試合が韓国戦、２試合がキューバ、他は中国と米国で、世界大会なのに予選を含めてもわずか４カ国としか対戦していません。&lt;br /&gt;
こんな世界大会、普通はないでしょう。&lt;br /&gt;
おそらく選手もファンも、誰もが（世界という冠なのだから）もっと多くの国との対戦を望んでいたのではないかと思いますが、メジャー側の意向で変則試合形式になってしまいました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もしも、日本と韓国（さらに他の国々）が結束してＩＢＡＦ（国際野球連盟）主催の世界大会を開催し、現状のＷＢＣのように参加国を招待制にするのではなく、１１３カ国全てが予選を戦う形式にすれば、（世界的にはマイナー競技である）野球が世界で注目される可能性があったと思うのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今はサッカーやバスケット人気が圧倒的な中国を始めアジア各国で野球がもっと盛んになれば、現在は中途半端なスタイルのアジアシリーズを発展させて、毎年各国リーグの上位が出場して真のアジアナンバーワンを決めるアジアスーバーシリーズのような大会を開催することだって不可能ではなくなり、大きな盛り上がりをみせたかも知れません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;既にメジャーが侵食し始めている中国やアジア市場をアジア人自身の手に取り戻し、アジア全域に市場を広げることができれば、日本や韓国の（もちろん中国など他国も含めて）選手にとっても球団興行にとっても大いにプラスになったのではないかと思うのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
仮に、ＩＢＡＦ主催の世界大会が開催されたとして、それに米国メジャーがあくまで反対して参加しなかったら・・・&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;サッカーにこんな例があります。&lt;br /&gt;
サッカーのワールドカップは世界中が熱狂する大会ですが、サッカーの母国イングランドは最初の３大会は予選にすら参加しませんでした。&lt;br /&gt;
「サッカーの世界一決定なんてナンセンス。我々イングランドに決まっているのだから」というのがその理由だったと伝えられています。&lt;br /&gt;
母国イングランドが参加しない大会の意義を疑問視する声も当初はあったと言われていますが、大会が世界的に注目されるにつれてイングランドは参加せざるを得なくなりました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;万が一、ＩＢＡＦ主催の世界大会に（イングランドと違って）米国メジャーがいつまでも不参加だったとしても、世界大会を盛り上げることができれば、それはそれで日本や韓国からメジャーに流出する選手が減る可能性があります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;かつてＪリーグ創設の時に企業名を冠することができないことで、読売が「別リーグを作る」可能性に言及したことがありますが、結局は断念しました。&lt;br /&gt;
その最大の理由は、各国サッカー協会が認知しないリーグの選手はＦＩＦＡ（国際サッカー連盟）が認知しないこととイコールであり、ＦＩＦＡ主催のワールドカップには出られないからです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ワールドカップに出ることはサッカー選手にとって最大の夢でもあるわけですから、仮に読売が別リーグを作っても、まともな選手が集まるはずがないということで断念したそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;IBAF主催の世界大会が盛り上がり、そこにメジャー選手は参加しない状況が続けば、と考えると、少々興味深いですね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;まあ、全ては仮定の話なのですが、日本プロ野球にもっと長期での経営的視点があれば、ＷＢＣを奇禍として真の世界一決定大会を開催することで野球界発展のチャンスをつかむことは不可能ではなかったと思うのですが、球団経営者の多くは宣伝効果があればいいと思っている人も少なくないようですから、プロ野球というビジネスを長期的視点に立って本気で何とかしようという「熱い想い」を求めるのはそもそも難しいのかも知れませんね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;キューバのカストロ議長が、日本に敗れて帰ってきたキューバ選手団に対して「自分達の能力に驕りがあったかも知れない」という発言に続けて「日本や韓国・キューバといった優勝候補が同組で何度も対戦するのはアメリカの策略だろう」と言ったと報道されましたが、日本が韓国やキューバと何度も対戦する不可解なＷＢＣを見ながら、私もアンフェアな大会だと強く感じました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もちろん、日本の優勝に水を差しているわけではないことは、ご理解くださいね。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>スポーツ</dc:subject>
<dc:subject>ニュース</dc:subject>
<dc:subject>ビジネス</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-03-22T12:26:45+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/03/post-853f.html">
<title>外部性に追いやるな</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/03/post-853f.html</link>
<description>渡辺京二氏の「逝きし世の面影」は、江戸時代末期から明治初期に日本を訪れた外国人に...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;渡辺京二氏の「逝きし世の面影」は、江戸時代末期から明治初期に日本を訪れた外国人によって書かれた旅行記や報告書など膨大な文献を詳細に分析し、１９９９年に和辻哲郎文学賞を受賞した名著です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「日本は貧しく遅れた国であり、封建制の下で庶民の暮らしぶりは悲惨である」という先入観を持ってやってきた多くの欧米人が、実際に見た日本の庶民が（他のアジア諸国はもとより、自国の庶民と比べても）活き活きと幸福そうに生活し、礼節や衛生面でも（庶民レベルでは）欧米をも凌いでいることに驚嘆します。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;素朴な暮らしぶりではあるが農村でも衣食は充実し、当時の多くの国と違って乞食もほとんどおらず、平和で穏やかな庶民の暮らしぶりに感動すら覚えます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;彼らの多くは日本の近代化を促進するために訪日したのですが、少なからぬ人が「日本を開国させて欧米化させるのは正しいことなのだろうか」という感想を抱きます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;明治以降、日本は近代化を図り欧米諸国に近づく努力を重ねます。&lt;br /&gt;
それは多くの成果を挙げますが、そのことによって一方で日本は大切なものを失ってきたのではないか・・・「逝きし世の面影」は渡辺京二氏による問題提起の書でもあります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;最近、ジャンルの全く異なる二冊の本を相次いで読んだところ、いずれの書にも「逝きし世の面影」が取り上げられていて驚きました。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
一冊は大井玄氏の「痴呆老人は何を見ているか」、もう一冊は中谷巌氏の「資本主義はなぜ自壊したのか」です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「痴呆老人は何を見ているか」は、認知症の研究から始まって文明論にまで踏み込んだ快著ですが、大井氏は、個人が地域社会とのつながりを保ち年長者が敬われている地域では認知症の表れ方が穏やかで、徘徊やせん妄といった症状がほとんど起きないことを紹介しています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「逝きし世の面影」に紹介されている江戸末期の庶民の生活は、落語に出てくる長屋住人のようなイメージでもあり、日本人の懐かしく穏やかな原風景と言ってもよいでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;本来、こうした地域社会とのつながりの中で生きてきた日本人が、欧米に追いつき追い越そうとする中で個人主義・成果主義を強調してきたことによって、老人を弱者として切り捨て、社会から尊敬されない存在に追いやってしまった・・・&lt;br /&gt;
欧米を追いかけ、特に戦後はグローバルスタンダードという名のアメリカンスタンダードを目ざしてきた日本の負の側面の一つが「痴呆老人」の出現ではないのだろうか、大井氏はそう問いかけています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もう一冊の「資本主義はなぜ自壊したのか」を著した中谷氏は、小渕内閣時代に堺屋太一さんから懇願されて「経済戦略会議」の中心的メンバーを務めるなど、構造改革の旗振り役でもありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;構造改革を唱え、グローバルスタンダードの導入を金科玉条としていた中谷氏は、当事の自分が間違っていたことを率直に認めて「資本主義はなぜ自壊したのか」を懺悔の書として出版しました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;話は少しそれますが・・・&lt;br /&gt;
一般に評論家や学者といった人達はメディアを通じて自信満々の理論や予想などを開陳しますが、結果的に自分の理論や予想が外れていた場合に反省の弁を述べたという人を寡聞にして聞いたことがありません。&lt;br /&gt;
私は中谷氏の過去の発言が間違いで、今回の著作の論旨が正しいと結論づけるつもりはありませんが、少なくとも中谷氏が「自分は間違っていた」と思った時に、率直に過去の自分の間違いを認めて懺悔の本を出したことは評価に値するものだと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;話を戻して・・・&lt;br /&gt;
グローバルスタンダードを導入して日本経済を欧米に近づけようとした張本人でもあった中谷氏は、かつては社員を家族のように考えていた企業経営者が少なからずいたのに、今やいとも簡単に人減らしをしてしまう現状や、実際の能力や働きぶり以上に収入格差が開いていく社会に危機感を抱きます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;中谷氏は、個人主義や成果主義は、一方で金銭的な大成功者を生んだけれど、本当に多くの国民を幸せにしたのだろうかと自問自答します。&lt;br /&gt;
やはり「逝きし世の面影」を読んでいた中谷氏は、そこに描かれたかつての日本が持っていた大切なものを、この国は忘れてしまったのではないか・・・そう考え始めるようになったのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;イギリスのレスター大学の０８年調査報告によれば「自分は幸福だ」と感じている人の割合が、日本は世界第９０位という低さです。（ちなみに１位はデンマークで、アジアでは８位にブータン・９位ブルネイ・１７位にマレーシアが入っています）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;幸福度アジア１位のブータンという国は、GDP（国民総生産）よりもGNH（国民総幸福度Gross National Happiness）を施政の指針にしていることで知られています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「幸福になりたい」と願わない人は、まずいないでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;充分な金銭の確保は幸福になるための一側面ではありますが、今の日本は、それがあまりにも強調され過ぎているのかも知れません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;経済学では、経済活動がもたらす影響のうちで、金銭に換算できないものを「外部性」と呼んで、研究対象から削除します。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;例えば、資本主義が浸透し、経済活動に組み入れられることで伝統的な生活を捨てざるを得なくなったネイティブアメリカンが失った誇り・・・&lt;br /&gt;
例えば、開発によって失われた、豊かな自然に囲まれた暮らし・・・&lt;br /&gt;
こうしたものは「外部性」という名の下に、経済学では無視されてしまうのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、幸福という概念には、金銭で換算されないものが数多く含まれているはずです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そもそもビジネスそのものが、本来は、誰かの役に立ち誰かを幸福にすることで報酬を得る行為のはずです。&lt;br /&gt;
だとすれば、人を幸福にしたことの結果として得られる報酬こそが、自分が得る資格のある報酬なのですが、成果主義やグローバルスタンダードは、そこから逸脱して「より多くの報酬を得ること」のみを追求することを必ずしも否定しなくなってしまったのではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;成果や競争・報酬といった側面に目を奪われるあまりに、個人の尊厳や働く意義・個人と地域社会とのつながり・・・&lt;br /&gt;
我々は、こうしたものを「外部性」に追いやってしまったのかも知れません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私は、成果主義やグローバルスタンダードは悪で、それは否定されるべきものだとは思っていません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、経済学が「外部性」という名の下に無視してしまうものについてもきちんと目配りすることを忘れてはいけないと思いますし、成果主義やグローバルスタンダードといった基準と個人の幸福とのバランスをどう取るのか・・・簡単に結論の出ることではありませんが、少なくとも常にそれを考えていることが経営者の重要な役割の一つであろう、そう思うのです。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-03-14T19:48:02+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/03/post-36b7.html">
<title>「ひらめく」チカラ</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/03/post-36b7.html</link>
<description>ポストイットと言えば、誰もが一度は使ったことがありますよね。 私も毎日使っていま...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;ポストイットと言えば、誰もが一度は使ったことがありますよね。&lt;br /&gt;
私も毎日使っています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;このポストイットが、実は失敗から生まれた大ヒット商品であることは有名な話です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「強力な接着剤を開発せよ」と命じられていた米国スリーエム社の研究員が、ある試作品をテストしたところ、よくつくけれどすぐに剥がれてしまうという何とも奇妙なモノが出来上がってしまいます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もちろん当初の開発目標に対しては完全な失敗作です。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
しかし、当の研究員は「これは何かに使えるのではないか」という直感に突き動かされて、社内中に知らせることにしました。&lt;br /&gt;
当初は「接着剤イコール剥がせないものであるべき」という固定観念から社内の誰からもほとんど相手にされなかったのですが、ひらめきを信じた研究員は改良に改良を繰り返しながら社内の賛同者を増やし、最初の（失敗作）誕生から約７年を経てスリーエム社の新製品としてデビューし、大ヒット商品となったのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;過去の世界的発見や発明の多くも、こうした偶然の幸運に助けられたものが少なくありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;レントゲンによるX線の発見もそうです。&lt;br /&gt;
クルックス管と呼ばれる真空管のような装置の中で放電実験をしていたレントゲンは、真っ暗な部屋で管自体も完全に覆われているにも関わらず、たまたま置かれてあった蛍光塗料を塗った紙が光っているのを発見します。&lt;br /&gt;
「どこからも光など漏れていないのに｣と不思議に思ったレントゲンが装置を止めると蛍光塗料の紙も光るのをやめます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「管の中から見えない光が出ているのではないか」と思い至ったレントゲンが自らの手を感光紙に撮ってみたところ、何と骨が写ったのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これが世界を驚かせたX線の発見です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;２００２年にノーベル賞を受賞した島津製作所の田中耕一さんも、実験試薬の配合を間違えるという失敗がきっかけで、たんぱく質の光学的分析装置の原理を発見しましたよね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こうした「本来の目的を遂行している時に、その目的とは違う価値あるものを見つける能力」のことを「セレンディピティ」と言って、最近の脳科学においては極めて注目されている分野です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;いかに凄いことが目の前で起きようとも、そうした偶然のシグナルに対して「これは重要なことではないか」とか「これは何かに使える」と「ひらめく」ことができなければそれを活かすことはできません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;モノが落ちるのを見ていた人はいくらでもいたのに、ニュートンだけが「リンゴは落ちるのに、星が落ちないのはなぜか」というひらめきによって万有引力の発見に至りました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;セレンディピティは歴史上数多くの発見や発明に結びついてきたわけで、現代の脳科学は本来も目的とは異なる現象に出会った際に「ひらめき」が起きる脳内の働きについて研究を進めているのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;スリーエム社の例にもあるように、セレンディピティは企業を変える力も持っています。&lt;br /&gt;
と言うより、企業のような組織にとっても、本当に重要なことはセレンディピティによって見出されるのではないかと思うのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それだけに、セレンディピティを活かす風土を持っているかどうかは極めて重要な問題です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;冒頭に挙げたスリーエム社が、もしも強力接着剤を作るという目標を強烈に課していたとすれば、あの研究者は「これは失敗作だ」と思って試作品を捨ててしまったかも知れません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;あの時研究者が、試作品を捨てずに「何かに使える！！」とひらめいたのは、強力接着剤を作るという当面の目標よりも「世の中に受け入れられる商品を作る」という、よりメタな目標にすんなりと切り替えることができたからです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;目標設定や目標管理は重要なことではありますが、設定された目標達成に１００％の努力が向けられてしまうと、セレンディピティに出会うことはできなくなります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;９０％は日々の目標達成に向けられたとしても、１０％は予期せぬものに出会った時にひらめくだけの余裕を残しておく必要がある、現代の脳科学もそう教えています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;経営者が、売上や利益目標に社員を集中させ過ぎて、社員が余裕をなくしてしまったら、劇的に企業を変えるかも知れないセレンディピティには出会えなくなってしまう可能性が高いのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;厳しい経済情勢ではありますが、だからこそ心の余裕を持つことが重要なのだと思います。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-03-05T16:36:27+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/02/post-9392.html">
<title>トレードオフの関係</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/02/post-9392.html</link>
<description>「レインマン」という映画で、ダスティン･ホフマンは自閉症だが驚異的な記憶力を持つ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;「レインマン」という映画で、ダスティン･ホフマンは自閉症だが驚異的な記憶力を持つ男性＝レイモンドを演じました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;床に落ちて大量に散らばったマッチを一目見て本数を正確に言い当てたり、分厚い電話帳を全て記憶してしまうなどの場面を覚えている人もいるでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こういう能力のことをサヴァン能力と言います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;一度見ただけの風景を後から完璧に描くことのできる人がテレビで紹介されていたことがありますが、これもサヴァン能力です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;イギリスのニコラス・ハンフリーという学者が、サヴァン能力に関連して興味深い仮説を唱えています。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
ラスコーの洞窟壁画というのがありますね。歴史で勉強した方も多いと思います。&lt;br /&gt;
ラスコーの薄暗い洞窟に描かれた牛やライオンなどは実に素晴らしい出来映えで、１万５０００年以上前の人類の祖先がこれほどまでに正確な写実力を持っていたことに誰もが驚きます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ハンフリーによれば、ラスコーなど古代の洞窟壁画は、動物など個々の対象については極めて正確に描かれているのに対して壁画全体の構図が無視されている点など、サヴァン能力を持った人が書く絵に酷似していると言うのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;サヴァン能力を持つ人はコンピュータのように記憶を正確に脳に定着させることに優れている一方で、記憶を基にさまざまな編集をして別の意味や表現を生み出すといった作業が苦手であるとも言われています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ハンフリーは、人類の祖先は言語能力や記憶編集能力を持たなかったけれど、見たものを後から正確に表現する能力を保有していたのではないかと推測しているのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それは言い換えると、その後の人類は言語能力や記憶を編集する能力を獲得した代わりに、見たものを後から正確に表現する能力が薄れていったと考えられるという訳です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;実際、人類の進化の歴史は、ある能力を獲得するとそれまであった能力を失うというトレードオフの歴史であったと言われています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;トレードオフの関係は現代人にもあてはまるようで、脳科学者によれば、サヴァン能力など突出した能力を持っている人の多くは能力がプラスされているのではなく、一般の人々が持っている能力のいくつかが欠落することで別の能力が突出することが多いのだそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そう言われれば、古今東西の天才達の中には人格的な欠陥を持つ人が少なくなかったようですから、実は人間が運用できる脳活動の総エネルギーはある程度決まっていて、特定の分野に強烈なエネルギーを使うことで、他の分野が犠牲になってしまうのかも知れません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;企業経営でも似たようなことがあります。&lt;br /&gt;
短期間で驚異的な成長を遂げる会社が、時として大きなひずみを抱えて倫理面で問題を起こすケースがあるのも、企業全体のエネルギーを一点に集中させ過ぎたがゆえの（あってはならない）トレードオフが起きてしまったと言えるのかも知れません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;企業を運営していく上で、伸ばさねばならない部分があることは当然ですが、失ってはいけないものもあります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;我々は「伸ばさねばならない」点にはすぐに目が向くのですが、そこに集中するあまりに、失ってはいけないものについて無頓着になってしまうことが往々にしてあるように思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;企業を成長へと導くエネルギーが、失ってはいけないものとのトレードオフにならないように・・・経営者のバランス感覚が問われる部分ですね。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-02-28T12:21:47+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/02/post-c356.html">
<title>「納棺夫日記」を読んで</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/02/post-c356.html</link>
<description>映画「おくりびと」がアカデミー外国語映画賞を受賞しました。 この映画の原作「納棺...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;映画「おくりびと」がアカデミー外国語映画賞を受賞しました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この映画の原作「納棺夫日記」は、経営していた飲食店の倒産を機に葬儀会社に入社して「死者を扱う仕事」に携わることになった青木新門さんが、自らの日記を基に書き起こした本です。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
当初は、親戚や妻から「そんな仕事はやめろ」と蔑まれていた青木さんですが、日々数多くの死と向き合う中で、人の生と死について深く考えるようになり、膨大な書物を読み、それを自らの体験と重ね合わせる中で独自の死生観を構築します。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「納棺夫日記」に書かれた青木さんの死生観は、とても優しいまなざしに満ちたものであるように感じられます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この本を読み、青木さんの優しいまなざしにあふれた死生観に触れると、思わず姿勢を正したくなるのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;古来、数多くの人が「死と向き合うことで生が分かる」という意味の言葉を遺しています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;孔子が言ったとされる「志士は溝壑（こうがく）に在るを忘れず」という言葉もその一つ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;様々な解釈もあるようですが、「人間とは明日殺されて溝にころがっているかも知れない存在である。だからこそ志ある者は死がいつあるかも知れないことを忘れずに、今を大切にして生命を燃やし尽くすことが大切なのだ」という解釈を私は採用しています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;日々、死と向き合った人だからこそ分かる境地が「納棺夫日記」には書かれています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;話題の「おくりびと」の原作でもありますから、機会があればぜひ読んでみてください。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>映画・テレビ</dc:subject>
<dc:subject>書籍・雑誌</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-02-24T08:38:15+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/02/post-c616.html">
<title>比較するのが習い性</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/02/post-c616.html</link>
<description>ヒラリー・クリントン国務長官の来日に際して街中でインタビューされた人が「日本にも...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;ヒラリー・クリントン国務長官の来日に際して街中でインタビューされた人が「日本にもあんな女性政治家が出てきてほしい」という趣旨の発言をしていました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そう言えばアメリカ大統領選の直後は、どこへ行ってもオバマ大統領の話題で持ちきりでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;興味深かったのが、大半の人が「アメリカはあんな指導者を出せるのに、それに比べて日本は・・・」とか「オバマさんの演説に比べて、日本の政治家の演説は麻生さんも小沢さんも全然ダメだよな」という「あちらはあんなにすごいのに、それに引き換え日本は・・・」という文脈で語っていたことでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;哲学者の内田樹氏が「日本人は『それに引き換え』というかたちでしか自己定義をできない国民である」と述べておられました。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
確かに、ビジネスの世界でも「アメリカではこうなのに日本は・・・」とか｢北欧ではああなのに日本は・・・｣というように、他国との比較で日本を語る人や書物は枚挙にいとまがありません。（気づいてみれば、私も結構そういう発言をしています）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;普段の生活でも「フランスではこうなのに・・・」などと外国との比較で物事を語る人は至るところにいますよね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;でも、日本人は卑弥呼の時代（もっと前かも知れませんが）から今日まで、ずっとそういう風にしてきたのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;卑弥呼から幕末までの日本は常に中国と比べていましたし、明治になるとイギリスやフランス・ドイツになり、第二次大戦後はご存じの通りアメリカがメインの比較対象となりました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これはいいとか悪いとかではなく、かつては中国の辺境に、現在はアメリカの辺境に・・というように影響力の強い国の周辺に位置するという立ち位置を選ばざるを得なかった日本の習い性だとしか言いようがありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;でも、それを卑下する必要はないと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;松岡正剛さん（だったと思います。間違えていたらゴメンナサイ）が「辺境の立ち位置を活かして、影響力のある国の文物を取り入れてそれを原産国と比較しながら常に革新してきたのが日本。それは決してマイナスではない」というような趣旨のことを書かれていました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;考えてみれば、中国から渡来した漢字から平仮名やカタカナという独自の文字を生み出しましたし、納豆スパゲティやたらこスパゲティなんていうのも秀逸な発明じゃないですか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;音楽に詳しい友人によると、日本のラップは当初は完全なアメリカのコピーだったそうですが、アメリカからラップが紹介されて２年も経たないうちに完璧に日本独自のラップ音楽に育ったそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;常に他国と比較することが習い性であるとしても、比較することで自らを省みて革新につなげていけるのであれば、それはそれで徹底的に磨きをかけてみるべきだと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そうすることで、平仮名やカタカナのような「改変というより発明」とまで呼ばせるような域にまで高まる可能性があるのですから。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ニュース</dc:subject>
<dc:subject>ビジネス</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-02-18T18:37:02+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/02/post-1693.html">
<title>悲しい日</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/02/post-1693.html</link>
<description>以前、あるIT企業から営業を受けたことがあります。 当日朝に、営業担当者から「社...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;以前、あるIT企業から営業を受けたことがあります。&lt;br /&gt;
当日朝に、営業担当者から「社長が御社の近くに用事があるとのことで、御社に同行すると言っております」との電話があり、社長と担当者の二人で訪問してきました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「近くに用事があるとは言え、社長も来られるとは熱心だな」と好感を抱いた私でしたが、現れた社長は、何と酒の匂いをぷんぷんさせており、酔いのせいなのか話が始まるや自分がいかに優れているのかを、ひたすら自慢するのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;横にいた営業担当者の困り果てた顔が今でも目に焼きついています。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;もちろん、その会社との取引に至ることはありませんでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;中川財務相が世界に醜態をさらしてくれました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;当初、細田官房長官や麻生首相は「国会ではきちんと答弁しているから問題ない。続投してもらう」と言ったと報道されていますが、社外で醜態を見せた取締役に対して「社内できちんとしていれば社外のことはいいよ」などと言う企業トップがいたら、その企業はつぶれます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私が上記の会社とつきあうのをやめたように、中川氏が財務相を続けていたとすれば、他国の政治家は彼をまともに相手にしてくれなかったでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;日本にとって、それはどれほどの損失になるのかが、細田氏や麻生氏に分からなかったとは思えないのですが、身内の論理が優先されてしまったのでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;知り合いの新聞記者によれば、中川氏はアルコールが大好きで飲むと見境がなくなり、（風邪薬ではなく）鬱病の薬を常用しているそうで、そのことは関係者の間では常識になっているそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（えひめ丸事件の時にゴルフ場にいて顰蹙をかった）森元首相でさえ（中川氏の）大臣任命そのものを疑問視していましたが、新聞記者の話が事実とすれば、それも当然ですね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その中川氏を麻生首相はなぜクビにしなかったのか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;一つは四面楚歌の麻生首相にとって盟友とも言える存在が中川氏であったこと、もう一つ少々想像をたくましくすれば、中川さんの醜態が出たことで、四面楚歌だった自分への非難が彼に向かう訳ですから、ちょどいい隠れ蓑ができたとでも思っていたのではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そうでも考えないと、この状況で続投なんて発言が当初出てくるわけがありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;何か情けないですよね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私は「国が何とかしろ」とか「政治家や役人が悪い」と言う前に、自らができることを考えるべきだと常々思っています。&lt;br /&gt;
とは言え、ここまでの醜態を見せつけられると、こういう政治家達が治める国家でビジネスをしていくことについて考え込んでしまいますよね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それとも、トップがこれほどひどくても成長率が大幅にマイナスになっても（今のところは）街中に浮浪者があふれたり暴動が起きたりしない国であることを寿ぐべきなのでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「JFK」という映画の中で、ケビンコスナー演じるギャリソン検事が、レストランでケネディ暗殺を喜ぶ酔客がいるのを見て「今日は、自分がアメリカ人であることを恥ずかしく思う」とつぶやくシーンがあるのですが、正にそんな気分にさせられた悲しい事件でした。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ニュース</dc:subject>
<dc:subject>ビジネス</dc:subject>
<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-02-17T11:36:28+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/02/post-f5e8.html">
<title>影響の連鎖</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/02/post-f5e8.html</link>
<description>私が尊敬する哲学者の内田樹氏は数多くの著作を出されていますが「自分の文章は著作権...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;私が尊敬する哲学者の内田樹氏は数多くの著作を出されていますが「自分の文章は著作権フリー、誰でも自由に引用して構わない」と公言されています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その理由を、内田氏は大きく二つ挙げておられます。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
一つめは「自分が著述をしているのは多くの人に伝えたいことがあるからであって、引用されることで、より多くの人に伝わるのであれば、それはむしろ歓迎されることである」というもの。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;二つめは「自分の意見や思想といっても、過去の誰かの意見や著作・発表などの影響を全く受けずにゼロからオリジナルを創造することなどできるものではない。自分の言葉は、古今東西の数多くの他者からの影響を受け、他者の言葉を編集することで生まれたものである。だから『これは自分一人のものだ』と声高に権利を主張するのはどうかと思う」という考えからです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;量子脳理論など数多くの分野で業績を挙げているイギリスの科学者ロジャー・ペンローズの有名な言葉に「創造することは思い出すことに似ている」というものがあります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;古代ギリシャの哲学者プラトンも「人間はかつて住んでいた魂の故郷の『イデア』を思い起こすのだ」という発言をしています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;現在の脳科学の知見によれば、創造性と記憶のシステムには深い関係があることが分かっており、創造とは「個人によるゼロからのオリジナル」などではなく、その人が他者から得た知識や経験という基礎の上に「ある種のひらめき」が加わった時に生まれるものなのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「ひらめいた」のが本人であることは事実ですが、古今東西の知識や経験の蓄積なくしては、ひらめきは生まれ得ないのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;また、創造に至るひらめきは、一人でウンウン唸っても出てくるものではありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;同じく最近の脳科学によれば、脳が新しい働きをするための最大のきっかけは、他人との関係であることが知られています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;創造することをめざすならば、他者との対話が極めて重要なのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;数多くの知識や経験を蓄積し、多くの人との対話によって脳を刺激することで「ひらめき」が生まれ、創造が成されるという訳です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;あらゆる創造は『影響の連鎖』の産物だということです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;２０世紀最大の天才とも言われるアインシュタインが最も創造的だったのは、多くの友人や学者達と活発に議論していた時期であり、プリンストン高等研究所に迎えられて一人で研究するようになってからは急速に独創性が失われていったと言われています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;あのアインシュタインですら、他者との影響の連鎖なしには独創的な仕事ができなかったのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;茂木健一郎氏は著作の中で「ヘンリー・フォードが発明したと言われる自動車の大量生産は、ヨーロッパのさまざまな技術を真似て自分流にアレンジしたものであって、フォードによるゼロからのオリジナルではない。トヨタ生産方式は、世界のものづくりを変えたと言われるほど画期的だが、その生みの親と言われる大野耐一氏は自分の発明だなどとは一言も言っていない。先人達のさまざまなアイデアをベースにしたと明言しているし、数多くの著作が参考になったとも言っている。創造とは本来、大野氏のようなプロセスを経るものである。欧米ならば『俺が発明した』とばかりに『オオノ』がヒーローになるのだろうけれど、大野耐一氏は謙虚である。でも（他者の影響を受けているという）謙虚な事実こそが『創造』と言われるものの本質であって、一人がゼロから創造したなどというのはフィクションにしか過ぎない」と述べています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;創造するとはそういうことなのだろうと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これからの日本には「創造的なビジネスが必要だ」とも言われます。&lt;br /&gt;
そう言われるまでもなく、いかに優れた製品やサービスを持っている企業であっても、絶えず創造的であり続けなければ陳腐化のリスクからは免れません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そのためにも、経営者は一人沈思黙考するのではなく、数多くの本を読み、数多くの人と会話をして、影響の連鎖の中に身を置くことが何よりも重要なのだろうと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;社外の方との会話は言わずもがなですが、社内的にもワイガヤ風土を醸成していくことが、創造性に冨み活力ある企業であるための極めて重要な要素になるのだと思います。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-02-07T14:31:24+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/02/post-4640.html">
<title>スポーツとマスメディア</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/02/post-4640.html</link>
<description>少し古い話で恐縮ですが、北京オリンピックのテレビ視聴率ではNHKが民放を圧倒した...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;少し古い話で恐縮ですが、北京オリンピックのテレビ視聴率ではNHKが民放を圧倒したと伝えられていました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その理由として、タレントに騒がれるよりもスポーツをじっくりと観たいという人が多かったという解説がなされていましたが、私自身、当該スポーツに関係のないタレントが出てくるスポーツ番組は観る気がしなくなる一人です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そもそも私は、メディアがスポーツを積極的に主催・後援するのは、そろそろやめた方がいいと思っています。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
バレーにマラソン・野球・・・民放各局は様々なスポーツ大会を主催・後援しており、大会が近づくとCMのみならずニュース番組などでも積極的に事前報道します。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;でも、報道番組で自社が主催・後援する大会を取り上げるのって自らニュースを作ってしまうマッチポンプに等しいのではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;メディアが取り上げるかそうでないかによって、スポーツ大会の注目度は大きく変わりますし、どうしても注目度の高い大会に選手や指導者の目は向いてしまいます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;春夏の甲子園野球大会を知らない日本人はまずいないだろうと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;でも、夏の甲子園とほぼ同時期にアンダー１８の野球世界選手権が隔年開催されていることを知る人はほとんどいないでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;AAA（スリーエー）世界野球選手権というのがその名称ですが、これまで開催された２３回のうちで日本が参加したのは、たまたま開催時期が夏の甲子園とずれていた２回のみです。&lt;br /&gt;
２００４年には日本チームが準優勝していますが、マスコミの扱いはほとんど皆無と言っていい状況でした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私も高校野球は嫌いじゃありませんし、故郷の兵庫県代表の活躍は気にもなります。&lt;br /&gt;
しかし、いくら歴史があるとは言え国内大会が圧倒的な注目を集める一方で、世界大会が（ほぼ完璧に）無視されているという状況は、当該競技の発展にとって決してプラスとは思えないのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;若い年代から世界と触れることの重要性は、あらゆる競技の関係者が強く主張するところです。&lt;br /&gt;
「世界との真剣勝負からは、親善試合などでは決して得られない経験ができる」誰もがそう言います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;日本の高校球児がせっかく世界に触れる機会がありながら、それを放棄していることは本当にもったいない気がするのですが、世界大会であろうとなかろうと、マスメディアに取り上げられない大会は指導者も選手も見向きもしないのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こんな例もあります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;正月に実施される箱根駅伝。&lt;br /&gt;
これを見るのが楽しみ、という人は少なくありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、陸上界には「箱根駅伝は日本の男子陸上界にとってマイナス面が多い」という人が少なからずいるそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;まず、箱根駅伝は関東学連という地方組織の主催なので、関東以外の大学は参加資格すらありません。&lt;br /&gt;
そういう地方大会でありながら、大学の全国選手権（もちろんそういう大会はあります）よりも箱根駅伝の方が圧倒的に注目を浴びるので、選手も指導者も関東の大学に偏ってしまうというのがマイナス面の一つです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;次に、箱根駅伝は２日間にわたって走ることもあって、ほぼ全員の走者が２０ｋｍ前後を走ることになります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;女子駅伝のように５ｋｍなど比較的短い距離の区間があると、８００ｍや１５００ｍを本職とする中距離ランナーも頑張れば出場できるのですが、２０ｋｍとなると長距離ランナー以外には絶対無理な距離になってしまいます。&lt;br /&gt;
箱根駅伝の注目度が圧倒的だけに、結果的に有望な中距離ランナーの多くが長距離に行ってしまう傾向があるのです。&lt;br /&gt;
日本の男子中距離界が世界的に弱い理由の一つと言われることもあるそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さらに２０ｋｍというのは、ある意味で中途半端な距離でもあり、３５ｋｍ過ぎてからが本当のレースと言われるマラソン競技の有望選手を育てることに役立っているかが疑問であるという専門家もいます。&lt;br /&gt;
（箱根駅伝が日本の男子マラソンを駄目にした、という趣旨の書籍もあります）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;地方大会であり、かつ極めて特殊な競技であるのが箱根駅伝という大会なのですが、ここまでマスコミにクローズアップされてしまうと、大学陸上界の中心的存在になってしまい、世界を見据えた日本陸上界の発展という大局から見ると、（特異な競技に選手や指導者が偏りすぎる）弊害も決して少なくはないのかも知れません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;メディアが大会を主催すれば、その大会が当該競技において占める位置や重要性などについて冷静に判断することができなくなります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そうなれば、本来のニュースとしての重みが極めて恣意的な判断に委ねられることにもなりかねません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「そこまで神経質に考えなくても」と言われるかも知れませんし、確かに日本が貧しい時代にはマスコミや企業がスポーツを引っ張ることが必要だったと思いますが、今後本当に日本スポーツの発展をめざすならば、メディアは主催・後援する立場から「応援する」立場に変わるべきではないでしょうか。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>スポーツ</dc:subject>
<dc:subject>ビジネス</dc:subject>
<dc:subject>映画・テレビ</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-02-01T17:19:32+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/01/post-335c.html">
<title>不透明な時代に必要なこと</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/01/post-335c.html</link>
<description>最近、歴史に興味を持つ若い女性（歴女と言うようです）が増えているそうで、歴史書や...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;最近、歴史に興味を持つ若い女性（歴女と言うようです）が増えているそうで、歴史書や家紋グッズなどを専門に扱う店がブームになっているようです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;歴史を好きになる動機が何であれ、女性雑誌で「女性のキャリアアップには＊＊が必要」などといった一方的な価値観に踊らされるよりは、はるかに良いことだと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;最近、脳科学者の茂木健一郎氏がこんなことを述べていました。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
「ビジネス書はノウハウ的なテーマに流されがちだけれど、脳科学の立場からすると、不透明な時代を生き抜くにはノウハウより人格力の方が大事。ノウハウを書いたビジネス書より歴史書を読んだ方がよほど参考になると思います」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;不透明な時代＝乱世と言えば幕末から明治にかけてが、まさにそういう時代であったと思いますが、松下村塾などの私塾や藩校で教えられていたことはノウハウではありません。&lt;br /&gt;
漢文素読などを通して中国の歴史や哲学を学ぶことが中心だったわけです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;西郷隆盛や勝海舟・坂本竜馬といった人物たちが、あの時代を動かし得たのはノウハウを豊富に知っていたからなどではなく、自らの信念と確固たる価値観を持っていたからです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;前述の茂木氏は、「人間はいざという時に逃げ込める『安全基地』を持っていることが重要で、これがないと新しいことにチャレンジできない」と言っています。&lt;br /&gt;
問題を起こす子供というのは周囲にそうした逃げ場を持っていないケースが多いのだそうです。&lt;br /&gt;
では大人にとっての安全基地とは何か、茂木氏は「それは自分の信念とか確固たる価値観である」と述べています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;以前、養老孟司氏が「不透明な時代には知識などより『覚悟』が必要」と書かれていましたが、それも同じような意味だと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;不透明な時代を生き抜くために必要なのは、しっかりした信念とか価値観以外にはないのですね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;歴史や哲学を学ぶことは、そうした信念や価値観を鍛えるための素養なのだと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私も、もっともっと読書に勤しみます。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-01-25T17:13:34+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/01/post-1f45.html">
<title>簡単な説明に流されるな</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/01/post-1f45.html</link>
<description>１９世紀のフランスで最大のベストセラーとなった本は、１８８６年にエドｩアール・ド...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;１９世紀のフランスで最大のベストセラーとなった本は、１８８６年にエドｩアール・ドリュモンというジャーナリストが書いた「ユダヤ化するフランス」という著作です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この本の主張は「政治家や役人の堕落」「宗教意識の希薄化」「家族の崩壊」「若者の暴走」などフランスが抱える問題は全てユダヤ人による世界支配の陰謀のせいだというもので、およそジャーナリストが書いたとは思えないほど稚拙な内容でしたが、当時は圧倒的な支持を受けました。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
その頃のフランスは産業革命に伴う近代化・都市化のうねりの真っ只中にあり、社会全体が劇的に変化していました。&lt;br /&gt;
従来の価値観では測ることのできない状況が次々と出現する事態に直面して、フランス人たちは（産業革命なんて誰も経験したことがありませんから）訳の分からない大きな不安感を抱いていました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そうした不安感の中で「全てはユダヤ人の陰謀のせいだ」という説明を読んだ当事のフランス人は、「何だ、やっぱりそうだったのか」と納得し、分かった気になったことで安心してしまったのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;人間は、訳の分からない事態に遭遇すればするほど、一言で簡単に説明できるようなフレーズに飛びついてしまう傾向があります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;昨今飛び交っている「１００年に一度の危機」「金融危機の影響」というフレーズにも、そうした危うさを感じます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;昨年後半から多くの会社が業績を落としていますが、大半の経営者は「１００年に一度の危機のせいで・・・」「金融危機の影響で・・・」というフレーズで総括してしまっています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「ユダヤ人の陰謀」とは違って、金融危機によって世界経済が影響を受けていることは確かに事実です。&lt;br /&gt;
しかし、本当に「１００年に一度の危機」「金融危機」というフレーズで当該企業の業績下降の理由を説明してしまってもいいのでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;現在の経済状況下においても企業の業績が一律に下がっているわけではありません。&lt;br /&gt;
世の中のせいではなくて、自らの経営自体に問題があるケースも多々あるはずなのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「世の中がこうなったから業績が下がった」のではなく「これまでの経営に問題があったから、こういう世の中になると(たちまち)業績が下がってしまった」のだと考えるべきではないのでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;経営者は、特に後退局面でこそ簡単な説明に流されてはいけません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;マスコミの影響もあって、現代人は簡単なフレーズで物事を総括するクセがついてしまっているような気がします。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;テレビなどでは、わずか３０秒か１分程度で物事の原因や解決策などがコメントされてしまうことが多いですよね。&lt;br /&gt;
「朝まで・・・テレビ」と言っても、物事を過去から掘り起こしてじっくりと説明している人がいるわけではありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;政治にせよ経済にせよ、物事をあまりにも簡単な説明で総括することは危険ではないかと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;特に下降局面における経営では、過去からのさまざまな要因を一つずつ地道に検証して対策を講じる作業が求められるのですが、簡単な説明に流れてしまうと根本的な解決策が取られないままに終わってしまうことになりかねません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;世の中で流布されている簡単なフレーズを、少なくとも経営者は絶対に免罪符にすべきではないのです。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-01-18T11:48:02+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/01/post-1c50.html">
<title>創めることを忘れなければ</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/01/post-1c50.html</link>
<description>新年なのに、新聞などを見ていると何かと後ろ向きな話題が多いので、少し勇気が出る話...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;新年なのに、新聞などを見ていると何かと後ろ向きな話題が多いので、少し勇気が出る話をしたいと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;タイのチェンマイ在住の音楽家に瀬田敦子さんという方がおられます。&lt;br /&gt;
瀬田さんは音大を卒業した後に結婚し、主婦＆母親業をしながら大阪の高校で音楽教師をしていたのですが、４０歳になった時に「生徒達に音楽コンクールの実態を教えるために、自ら応募してみよう」と思い立ちます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして、イタリアのマスタープレイヤーズ国際音楽コンクールに挑戦するのですが、コンクール出場者の大半は１０代・２０代で、もちろん瀬田さんが圧倒的に最年長。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;一次予選・二次予選を何とか通過して、さて最終結果は・・・&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;驚くなかれ、瀬田さんは見事に優勝してしまうのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;審査員達の評は「アツコ・セタのピアノ演奏からは、年輪を経た人生の機微を感じることができる。技術を超えて心に伝わってくるものがある」というもので、絶賛といってよいほどの評価を受けます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そこから、平凡な高校教師だった瀬田さんの人生が変わります。&lt;br /&gt;
音楽家としては異例とも言える遅咲きデビューながら、ヨーロッパ各国でリサイタルを開き、世界各国のオーケストラから共演依頼が来るなど、今や世界を股にかけた活躍をされているのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;次は、誰もが知っている名前を出してみましょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ケンタッキーフライドチキンのカーネルおじさんことカーネル・サンダースが創業したのは６５歳の時でした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;自分が考案したフライドチキンのレシピだけを武器に、そのレシピを買ってくれる相手を探し始めるのですが、来る日も来る日も飛び込み営業の連続をしても断られ続け、最初の契約が取れるまでに、何と１０００件以上も断られていたそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;後年、カーネル・サンダースは「６５歳のじいさんの言うことを、最初は誰も相手にしてくれなかった。でも誰もができる飛込み営業を、誰もできないほど徹底してやったから契約が取れ、その後のケンタッキーがあるんだ」と言っています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;何かを創めることに早い遅いはありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;創めることを忘れなければ、人は老いることもありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私も今年、新しい事業をスタートさせます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;瀬田さんやカーネルおじさんとまではいかないかも知れませんが、創める以上は大きな夢を抱いて進んでいきます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;不況であろうが何であろうが、最終的には自分が切り拓いていくしかありませんからね。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-01-09T17:31:59+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/01/post-b06b.html">
<title>消費者意識とビジネスマインド</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2009/01/post-b06b.html</link>
<description>少し前に「我々はあまりにも消費者としての構えが過ぎるのではないか」ということを書...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;少し前に「我々はあまりにも消費者としての構えが過ぎるのではないか」ということを書きました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「これを勉強したら何の役に立つの」と聞く子供、「やった仕事に見合ったやりがいや報酬がなくてはやってられない」という大人・・・小さい頃から消費者であることに慣れてしまったせいか、インプットとアウトプットがすぐにつながっていないと満足できない人たちが増えすぎてしまったような気がします。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、これほど消費者意識の構えを取る人が多くなった一方で、長期的なビジネスマインドを持つことの重要性に気づく人が意外なほど少ないように思うのです。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;今、産科や外科を志望する医者が減っていると言われています。&lt;br /&gt;
知人の医者によれば「激務な上に医療事故などが起きて高額訴訟を起こされる可能性が他の科よりも多いこともあって敬遠されている」のだそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;医療事故を厳しく追求することで医療の質が上がるのであれば、それによって患者は利益を得ることができます。&lt;br /&gt;
しかし、高額訴訟を嫌って産科や外科の成り手が減ってしまうと、結果的に我々は不利益を蒙ってしまうことになります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;建築士による構造計算偽造問題で、マスコミ（とそれを見た我々）は「大問題だ」と囃し立てました。「こんなことは二度と起こしてはならない」・・と。&lt;br /&gt;
その結果、法律が厳しくなって、結果として住宅建設が遅れたりコストが跳ね上がることになって官製建築不況なるものが到来するまでになってしまいました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;情報保護法もそうですね。&lt;br /&gt;
学校ではクラス名簿すら簡単には作れないようになっているそうです。&lt;br /&gt;
「自分のクラスの子供がどこに住んでいるのか、ほとんど分からない」という先生までいるとのことですが、こうなると考え込んでしまいますよね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;我々は何か事件が起きると「二度とこういうことを起こしてはいけない」という言い方をします。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし「二度とこういうことを起こさないように」するための施策なんていうものは、実際にはあるはずがありませんから、少なくとも見かけ上「これはすごい対策だ。これなら二度と起きないかも知れない」と思わせる対策を取ることになります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そういう対策は、ほとんどの場合とても窮屈で厳しい対処法になってしまいますし、窮屈で厳しい対処法が敷かれたことによって不便を我慢しなければいけないのは結局我々になってしまう訳です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;不正やトラブル・犯罪に怒りの声を挙げることによって得られる「利益」と、そうしたことを許さない厳しい対処法を取ることによって得られる「不利益」のどちらが大きいのか・・・そういう論調を掲載するマスコミって絶望的なまでに少ない・・・というかほとんどないんですよね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;マスコミの影響力が強い現代に生きる我々は、何かが起きると「１００％の正義」が「１００％の不正」を告発するという単純な図式に陥りがちなのですが、それが往々にして社会の円滑な運営を妨げていることにつながりかねないことに、もう少し気づく必要があるように思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;消費者意識の構えは誰でも簡単に持ってしまうのに、目の前の現象に一喜一憂することなく長期的にどうするのが我々の利益に叶うのか・・・そうしたことを冷静に判断できる「ビジネスマインド」を、私たちはもう少し持つべきではないでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2009-01-05T18:49:28+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2008/12/post-007b.html">
<title>３つの仕事</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2008/12/post-007b.html</link>
<description>アメリカで仕事をしていた時、「ジョブディスクリプション」という言葉を頻繁に耳にし...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;アメリカで仕事をしていた時、「ジョブディスクリプション」という言葉を頻繁に耳にしました。&lt;br /&gt;
「その仕事は自分のジョブディスクリプションにはない」という使い方をする人が多く、その心は「その仕事は私の仕事ではない（やっても評価につながらない）からやらない」と言っているわけです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;アメリカの自動車ビッグスリーが危機状態にありますが、ビッグスリーの労働者たちは賃金が作業ごとに３０段階ほどに分けられていて、互いの職分を犯すことは規定外行動としてマイナス評価にしかならないので、自分のジョブディスクリプションにあることしかやらないそうで、それが工場を硬直的にさせ、全体での作業改善などを阻んできた大きな理由の一つだと言われています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;仕事には「私の仕事」と「あなたの仕事」以外に、もう一つ重要な「仕事」があります。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
それは「誰の仕事でもない仕事」です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;誰の仕事という訳ではないけれど、目をこらせば、そこに存在している・・・そういう種類の仕事が企業にはいくらでもあります。&lt;br /&gt;
たいていの場合、そういう部分にこそ業務改善や新しいビジネスの大きなヒントが隠されているものです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;本当に「仕事ができる人」というのは、この「誰の仕事でもない仕事」をいち早く見つけ、それを「自分の仕事」として引き受けようとします。&lt;br /&gt;
そういうことのできる人を「仕事へのモチベーションの高い人」「仕事のできる人」と呼ぶのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「誰の仕事でもない仕事」を引き受けることのできる人というのは決して特別の能力がある人ではありません。　むしろ仕事への「構え方」だと言えばいいでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;例えば、会社の玄関先にゴミがころがっていたとします。&lt;br /&gt;
「誰かが掃除するだろう」と放っておく人もいるでしょうが、このゴミを自分で拾って処理することができる・・・自然にこういう行動が取れるような｢構え｣を備えている人こそが（短期的に大儲けできるとかではなく）本当の意味で「優れた仕事のできる人」になり得る資質を備えているのではないかと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「誰の仕事でもない仕事」の多くは放置されていても、すぐには誰かが責任を問われるわけではありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;社会保険庁の職員達の多くは、早くから記録漏れに気づいていたと言われています。&lt;br /&gt;
でも「これは私がやったわけじゃない」「過去の誰かのミスを始末するのは自分の仕事ではないし、評価されるわけでもない」そんな風に考える人が多かったのでしょう。というより上から下までそういう人ばかりだったのでしょうね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そうして、誰の仕事でもない仕事が放置された挙句に大騒ぎになってしまい、多くの職員が後始末を自分の仕事にせざるを得ない状況になってしまったわけです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もっと以前（誰の仕事でもなく放置されていた時）に、これを「自分の仕事」として引き受ける人がいれば（役人にそんなことを望むのは難しいのかも知れませんが）こういう事態にはなっていなかったでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ビッグスリーの社内にも、「誰の仕事でもない仕事」が無数に放置されていたはずです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;実際、それらは何度も表面化しそうになりましたが、その都度日本車叩きや円高誘導など外部に要因を求めて政治的に解決してしまったことが、ビッグスリーの内部改革を遅らせ、今日に至ってしまった原因だろうと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これは決して対岸の火事ではありません。&lt;br /&gt;
景気が悪いと言われるようになることで一番心配なのは人心が荒ぶことです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;自らの会社が社会保険庁やビッグスリーのようなことにならないよう、「誰の仕事でもない仕事」を率先して引き受ける集団であり続けられるようにすることが、企業経営の大きな役割の一つだと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もちろん、自分自身が率先して「誰の仕事でもない仕事」を見つけ、自ら引き受ける覚悟が必要なことは言うまでもありません。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2008-12-27T09:57:59+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2008/12/too-much-d5db.html">
<title>Too much な消費者的構え</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2008/12/too-much-d5db.html</link>
<description>最近の学校の先生は、生徒よりも親に泣かされると言います。 モンスターペアレントな...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;最近の学校の先生は、生徒よりも親に泣かされると言います。&lt;br /&gt;
モンスターペアレントなる言葉がありますが、「義務教育だから給食代を払わない」などと平気でいう主張してくる親がいくらでもいるのだそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;多分ほとんどの人が誤解していると思いますが、義務教育の「義務」というのは、親に対して課せられた義務なのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;日本国憲法２６条には次のように明記されています。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ」&lt;br /&gt;
ほらね。　読めば分かるように「義務」を課されているのは子供を持つ親なのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;なぜ、そうなっているのか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それは、歴史上つい最近まで（多くの発展途上国では今なお）貧困家庭の親が小さな子供を学校に生かせずに労働させるという状況が決して珍しいことではなかったからです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;イギリスですら１００数十年前には下層階級の子供達が６歳頃（ひどい場合は４歳）から工場や炭鉱で働かされて絶望的な人生を送っていました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「義務」教育というのは、小さな子供達を過酷な労働現場に追いやって人間としての尊厳を奪いとってしまうことのないよう、国家が親に対して課した「義務」なのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;だからこそ、憲法２６条に続く２７条の３項には「児童は、これを酷使してはならない」という文章が付随しているのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;かつて（今でも多くの国で）児童が親によって学校から労働現場に追いやられるのは、教育というものが本質的に「インプットとアウトプットがすぐに結びつくものではない」からです。　要するに「教育は金にならない」と親が思っているからですね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そもそも古今東西、教育というのは「金になる」とか「ならない」からという理由で受けるものではなく、人間としての資質を高めることを目的としていたのですが、資本主義や市場主義の浸透と共に、「金になるかならないか」という発想で教育を捉える人が増えすぎてしまったわけです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;だからこそ、国家が法律で明示することで、児童を労働現場や市場主義から引き離し、人間としての基本的資質の向上をめざす機会を与えなければならない、というのが歴史を通して多くの国が学んできたこと（だったはず）です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし今日、教育は再び市場主義の波に洗われています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「学校教育を費用対効果で語る」人が増えていますね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「学校にビジネス的発想を」といった言葉に、多くの人はさほど抵抗を覚えないのではないでしょうか。&lt;br /&gt;
実際、学校教育の最前線にいる人達自身がそういう語法で教育について語っています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、教育というもの対するこうした考え方に対して何ら不自然さを感じなくなってしまった我々大人たちが増えたせいで、当然ながら子供達にも大きな影響が及んでいます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;学校の先生をしている友人によると、最近の子供達は「これを勉強すると何の役に立つのですか」という質問をすることが多いのだと言います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;哲学者の内田樹氏は、こうした現象を捉えて「子供たちの社会的構えの基本が『消費者』になっている」と喝破されています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;内田氏は「学校というのは『それが何の役に立つのか』を子供たちがまだ知らないし、それを表現する語彙も持っていないことを教わる場である。というより『それが何の役に立つのか』を子供達がまだ知らず、言葉で表現もできないからこそ子供達は学校に通わなければならないのである。学びとは、学び終わったあとになって初めて自分が学んだことの有用性や意味について知ることができるという順逆の転倒したかたちで構造化されている」と述べています。　&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;けだしその通りだと言うべきでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私は、ビジネスの現場においても「消費者の構え」でありすぎるビジネスパーソンが跋扈しすぎているように思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;例えば、就職活動をしている学生たちの「やりがいのある仕事に就きたい」という表現に、「これを勉強すると何の役に立つのですか」と同じ匂いを感じるのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;彼らの言う「やりがい」というのは、かなりの割合で「世間体の良いクリエイティブな仕事で、自分が働いた分に充分見合う報酬がもらえる仕事」という意味合いを含んでいるように思えます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、本当に真剣に仕事をしてきた人ならば理解して頂けると思いますが、仕事というのは本質的にオーバーアチーブ（受け取る報酬以上に働く）しなければ会社など成立しないものですし、仕事のやりがいというのは「お金では計れない」部分に多く依存しているはずです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;極めてプリミティブな感覚ではありますが、私自身、独立して何の後ろ盾もなくなった時に、初期のお客様から「おたくのおかげで助かった」とか「御社に発注してよかった」と言われた言葉が五臓六腑に染み込んでいったことを覚えていますし、報酬以上にそうしたお客様の言葉が仕事への大きなエネルギーになったことを明確に覚えています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;長く仕事をしてきたビジネスパーソンならば、こうした経験を誰でも持っているはずだと思います。&lt;br /&gt;
だとすれば、そういう経験を若い世代に伝えていくことが、大人たちにできる教育のやり方であり、一人一人の後の世代へのそうした関わりこそが、少しずつではあっても日本を変えていくきっかけになるのではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私も企業経営者ですから「お金が大事ではない」などというつもりはありません。&lt;br /&gt;
しかし、例えば人の価値が顔の美醜だけで決まるものではないように、仕事のやりがいもお金を含めた様々な要素があることは伝えなければなりません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;人を判断するのに「とにかく顔だよ」という人もいてもいいかも知れませんが、世の中全てがそんな人ばかりになったら悲しい世界になってしまいます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、今の世の中は大人から子供まで（というより大人がそうだから子供も影響されるのですが）、あまりにも社会的な構えが「消費者的」であり過ぎるのではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;だからこそ我々大人が率先して、多用な価値観のあり方を伝えていかなければならない。&lt;br /&gt;
そんな気がしています。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2008-12-21T09:53:01+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2008/12/post-ef6c.html">
<title>神を信じるならば</title>
<link>http://y-ueno.cocolog-nifty.com/opinion/2008/12/post-ef6c.html</link>
<description>先日のNHKニュースによると、ケンタッキー州に「天地創造博物館」というのがオープ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;先日のNHKニュースによると、ケンタッキー州に「天地創造博物館」というのがオープンして話題になっているそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「聖書に書かれていることは全て正しく、進化論などは間違っている」という主張の下に、神が世界を創造したという歴史観に基づく展示を行っており、アメリカ国内でも賛否両論が噴出しているようです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私自身は宗教一般に対する興味はあっても特定の宗派に属している訳ではなく、どちらかと言えば無宗教だと言ってもいいでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そんな私が宗教に対して不思議に思っていることがあります。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;キリスト教に限らずほとんどの宗教は、全知全能の「神」がこの世界を造ったという創造神話を持っています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;どの宗教の創造神話でも、「神」は世界の全てを造ったとされています。&lt;br /&gt;
「神」はキリスト教を信じる者だけを創造した訳でもなければイスラム教や仏教を信じる者たちだけを創造したのでもなく、全てを創造したからこそ「神」と呼ばれている訳です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;だとすれば「神」が創造したものを勝手に破壊したり殺したりする行為は、神への冒涜ではないのでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;全ての生物は他の生物の犠牲の上に生命を維持しなければならない宿命にあります。&lt;br /&gt;
「神」も生きていく上での最低限の殺生は許されるのだろうと思います。（でないと生きていけませんから）&lt;br /&gt;
しかしながら、我々人類は生きていく上で最低限必要とされる以上の動植物を殺し、我々と同じ人間を正義の名の下に殺してきましたし、今も殺し続けています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかも、古今東西「神」の名において行われた殺戮は凄惨を極めています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;おそらく人類がこれまで経験してきた戦争や紛争の８０％以上は宗教が原因になっているのではないでしょうか。&lt;br /&gt;
かつての十字軍はもとより、イラク戦争・パレスチナ紛争など現代の争いの多くも宗教が原因となっています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;人間の魂を救うはずの宗教を錦の御旗にして殺戮が繰り返されること、「神」が造ったものを人間が「神の名の下に」殺戮することについて、宗教指導者たちはどのように考えているのでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私は「神」を信じると言っている人たちの多くが、実は「神」と真摯に向き合っていないのではないかと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;孔子は死者と向き合い死者の声に耳を傾けようとすることこそが「礼」であるとして、人間として最も重要な心構えであると説きました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;聞こえない声に耳を傾けるためには、謙虚になって自分自身を見つめ、世界を見つめることが不可欠です。&lt;br /&gt;
そういう真摯な姿勢こそが人を人であらしめる基本であると孔子は説いているのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;神と向き合うことも同じ心構えだと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;神の声を聞こうとして謙虚に真摯な態度で自らを見つめ世界を見つめる。&lt;br /&gt;
そうして徹底的に思索を重ねることによって、やがて自分の内面に「悟り」のような「気づき」が生まれる。&lt;br /&gt;
それこそが「礼を尽くす」ことで聞こえてくるものではないかと思うのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ブッダやキリスト・モハメットを始めとする優れた宗教家は、謙虚に思索を深めて「神」と対話してきたからこそ精神の高みに到達したはずですが、後世の弟子たちは「自分の都合のいいように神の声を解釈してしまっている」のではないでしょうか。&lt;br /&gt;
自分勝手な理屈を通すために「神」の威光を利用している、そういう人間が宗教を殺戮のための錦の御旗にしてしまっているように思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「靖国問題」というのがあります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「靖国神社を参拝しろ」という立場の人も「戦犯と祭られることは戦死者達の意に沿わない」と言って反対する立場の人も、「戦争で死んだ方々の心情を、私は理解している」という前提で話をしているようですが、賛成派も反対派も戦争で命を奪われた方々の声に謙虚にそして真摯に向き合おうという「礼を尽くす」姿勢があるとは、少なくとも私には感じられません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;自分の主張を通すために、戦争で亡くなった方々の気持ちを勝手に利用しているだけなのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「神」や「死者」など、聞こえない声に耳を傾けようとすることは、人が人であるために極めて重要なことです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;人間が他の動物と決定的に違うのは「死者を悼む」感覚を持っていることですし、古来地球上の全ての場所において人類が宗教を持ってきたのも、そうした姿勢が人間にとって不可欠だからに違いありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;なぜ、人間は死者を悼み、神を信じるのか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それは、聞こえない声と対話するために「謙虚になって自らの内面と周囲（世界）を深く考察する」という、人間としての基本的な在り方に深く関わっているからではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;少なくとも、神や死者の声を自分勝手な理屈を通すためにではないことだけは事実である。私はそう思います。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


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<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>くまさん</dc:creator>
<dc:date>2008-12-15T12:24:44+09:00</dc:date>
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